FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 016

英語力もキャリアもすべて0から、
アートの本場で認められるまで。
目の前の壁を突破し続ける
アーティストの生き方

アーティスト
中山 誠弥Masaya Nakayama

2022年11月9日

2022年9月、戦禍から避難をしてきたウクライナの人々に向け、“心のケア”をテーマにしたイベントが「A YOTSUYA」で開催された。イベントでは、不安や不眠、パニック症状などに対する心理カウンセリングや、子ども向けには「ダイナミック・ペインティング」というアートのワークショップを実施。
このワークショップを企画し、主導したのがニューヨークを拠点に活躍するアーティスト・中山誠弥氏だ。渡米当時は英語もまったくできなかったという中山氏が、多くの壁を乗り越え、アートの本場でアーティストとして認められていくまでの道のりを聞いた。

生徒を導く立場の人間として、
恥ずかしくない自分でいるためにアメリカ留学を決意

「ちっちゃい頃から、『お前は本当に商売人の息子やな』って言われていましたね」と話すように、陽気な語り口と人懐っこい笑顔ですっと相手の懐に入る、“いわゆるアーティスト”らしからぬ雰囲気を持つ中山氏。大阪で飲食店を営む家庭で生まれた彼が、アーティストとして注目を集めるようになるまでには、まるでドラマのような波乱に満ちた物語があった。

中山氏は芸術系の大学を卒業後、「少しでも美術やアートに関わる仕事をしたい」と、公立中学校の美術教師になった。もともと教育に興味のあった中山氏だが、初めて飛び込んだ教育現場の最前線に、戸惑いや驚きを隠せなかったという。そんななかでも、中山氏は美術の面白さを伝えようと独自に考えた授業を行うなど、懸命に生徒に向き合った。1年次から担任をしていたクラスが3年次まで持ち上がったとき、中山氏のなかである変化が訪れた。

「3年生だから、生徒と進路や将来について話すじゃないですか。そんな時にふと自分のことを考えると、『本当に自分は望んだ人生を歩んでいるのか、夢の大切さを語る資格があるのか』と自問自答してしまって。中学という多感な時期の生徒って、表面的な言葉を見透かすんですね。『この人、口だけや』って。自分の発言に責任を持って卒業後も生徒とリスペクトし合うには、僕も挑戦をしなきゃと思ったんです。それで、もう一度勉強し直してアーティストを目指そうと」

とはいえ、中山氏は教師という仕事にやりがいを感じていた。また、安定した職を辞し、一からアーティストを目指すことには葛藤もあった。背中を押してくれたのは、一時プロボクサーと教師を両立していたという一風変わった同僚だったという。

「ちょうどその時期に、仲の良い年上の英語教師が『来年から最先端の英語教育を勉強するためにニューヨークに留学する。ニューヨークにはギャラリーが集まるチェルシーって街があるんや。中山くんもアートに携わるのなら一度はニューヨークで暮らした方がいいんちゃうか?』と言われて。ちょっと変わってるでしょ(笑)。だけど、その言葉に背中を押されて、30歳になる前のラストチャンスと思って足を踏み出すことを決意しました」

大学卒業後は作品の展示会などを一度もしておらず、アーティストとしてのキャリアはゼロ。当然、知り合いもいないばかりか英語も話せないまま、中山氏はニューヨークへと向かった。

自ら努力を重ね、周囲のサポートを受けても、
“何もできない自分”に直面した暗黒時代

渡米直後、「ハンバーガーを注文したらチーズバーガーが3つ出てきた(笑)」というほど、英語が苦手だった中山氏は、語学学校に入学。同時に、ニューヨーク在住のアーティストにコンタクトを取り、勉強のため作品づくりに参加させてもらえるよう頼み込んだ。朝から15時まで語学学校で勉強し、その後、スタジオで20時くらいまで作品づくりのサポートを行なう生活が続いた。

「日本ではアートというと作品の工程すべてをアーティスト自身がつくると思われていますが、アメリカではアーティストが職人に依頼してアイデアを形にし、それをディレクションしていくというスタイルも珍しくないんですね。だから当時は、下絵づくりから、デッサン、設計まで何でも経験しました。
当時感じたのは、ニューヨークではある程度のレベル以上の人たちが、アーティストになるために、しのぎを削っていますから、人間関係がギスギスすることもありますし、日本とは環境が全然違うなと。刺激は多かったですね」

目まぐるしい毎日を過ごし、あっという間に一年が経った。教員時代の貯金も底をつきかけ、帰国という選択肢が頭に浮かぶ。

「自分なりに精一杯やったし、これで教師に戻っても、生徒たちに挑戦する姿勢は見せられるかなと思ったんですね。人間弱っていると、あきらめる理由を探して自分を納得させてしまいますからね。だから帰ろうと。それで、最後だと思って1年かけてつくった作品を集め、初めて個展を開いたんです。もちろん、無名のアーティストの小さな個展ですから、招待した人しか来ませんが、それでも作品を見てもらう喜びを感じたし、達成感があった。日本の友人も喜んでくれ、その反応がすごくうれしくて。まだここでやれることはあると、残ることにしました」

ただし、現実はそう簡単には進まない。滞在に必要なお金はほとんどなく、費用を捻出するべく周囲に相談したがうまくいかず、中山氏も「もう無理か」と途方にくれた。そんな彼に声をかけたのは、留学の後押しをしてくれた元同僚の英語教師だった。

「突然、『そろそろお金ないんじゃない?』って連絡が来て。彼もニューヨークに来てはいたんですが、連絡を頻繁に取っていたわけではないので、びっくりしました。それで、『返すのはいつでもいいから』と資金を貸してくれたんです。本当にありがたかった。恩を返すためにも頑張らなきゃと思いましたね」

決意も新たに渡米2年目を迎えた中山氏。アーティストとして成長するため、すぐに行動にうつす。サポートを辞め、自らの作品づくりを生活の中心に据えた。また、周囲のアーティストを見て、ニューヨークではWEBサイトや制作スタジオの有無によって、そのレベルを測られることに気づき、自分のWEBサイトを構築。さらに、費用的には綱渡りだったが、制作スタジオとしてビルの一室を借りた。

「そこから、ビルに入居しているアーティストの友人ができ、アート関係者との繋がりも広がりました。ただ、住居と別にスタジオを借りていたので、資金的にはアウト。今だから言えますが、スタジオに住んだ時期もありました。規約違反ですから真似しちゃだめです(笑)。当然シャワーなんかなく、筆を洗う水道で体を洗うんですが、冬は氷点下になるので絵具を溶かすためのカセットコンロでお湯を沸かしたりしてね。
自分なりに行動し、コミュニティが広がっても、すぐチャンスに恵まれるわけでもなく、当時は自分のなかでは“暗黒時代”です。費用まで借りているのに言葉すら満足に話せない。自分は何にもできない無力な存在だなと痛いほど実感しましたね」

大変な経験をしているように思えるが、中山氏は「ニューヨークでは全然珍しくないですから、クサってたわけではないです(笑)」とあっけらかんと語る。英語の勉強と作品づくりに邁進するなかで、アートが暮らしに密着したニューヨークらしい文化を実感する出来事があった。

「誰でもスタジオに入れるオープンスタジオというイベントで、13歳の男の子が遊びに来たんです。スケッチブックを見て、『このページの絵がかっこいいから10ドルで売ってくれ』って。びっくりですよ。理由を聞くと、『この絵は誰かが買ったらもう手に入らないんだから』と。無名のアーティストの作品でも、自分の感性で気に入ったらお金を出すという感覚と文化が10代の少年にも根付いていることに衝撃を受けましたね。日本では流行や周囲の目があるので、自分の感性を信じるのって難しいですから。ニューヨークに来てよかったと思いましたね」

地道な戦略を継続することで、
「ブルックリン ブルワリー」とのコラボレーションという転機が

自ら“暗黒時代”と振り返る時期、作品づくりに熱中する一方で、チャンスを掴むために中山氏にはもう1つ取り組んでいた戦略がある。それは、日頃交わることのない他業種の人達と積極的に連絡先交換をして人脈を広げること。それだけなら誰にでもできそうだが、中山氏は受け取った名刺でリストをつくり、8年という長期にわたって時機を見てメールを送り続けた。

「こちらから連絡をしても、みなさんお忙しいですから、リプライはまずありません。でも数年越しで続けていると連絡をいただけることもあり、なかには4〜5年間送り続けていたら、『こんなしつこい奴は初めてだ(笑)。飲みに行こう』なんて人もいましたね」

こうした地道な活動を続けることで、中山氏に転機が訪れる。
2019年、クラフトビールのパイオニアともいえる『ブルックリン ブルワリー』の社員と知り合った中山氏は、いつものように挨拶のメールを送った。それがちょうど東京に『ブルックリン ブルワリー』をオープンする時期と重なり、東京とニューヨークを繋ぐようなアーティストを探している最中だというのだ。『ブルックリン ブルワリー』の担当者から「作品を見ました。すごくいいので一度お話できませんか?」と連絡を受けた。

「『ブルックリン ブルワリー』のオフィスでビールをご馳走になりながら、無名なアーティストなのに生意気ですけど、どんな相手とも仕事をするわけではないので、教育や人種、環境問題などについてアートを通して実現したいことを話しました。先方も、それを尊重してくれ、ぜひテイスティングルームの白い壁に何か描いてくれないかと。すごくうれしかったですね。
その後一週間、朝から夕方まで通って絵を描いたのですが、働いている人からいろんな国の言語が聞こえてきたり、障がいのある方がイキイキと働いていている姿を見たりして、『ブルックリン ブルワリー』は、僕と同じものを大切にしているんだなと実感しました。完成した12月初頭は雪が降っていて、素敵なクリスマスプレゼントをもらったような気持ちでしたね。ちょっと格好つけすぎかな(笑)」

その後、『ブルックリン ブルワリー』とのコラボレーションをきっかけに、アメリカはもちろん、日本国内でも中山氏の名前は広がっていった。

中山氏にとって、
アートを通して実現したいのは、寛容で優しい社会

サンフロンティアと出合ったのも『ブルックリン ブルワリー』での制作期間中だという。当時、オフィス×アートの可能性を模索してニューヨークを訪れていた小田修平(Vol.4登場)が、中山氏のことを聞きつけ、話をしに訪れたのだ。

「『日本の不動産会社で働いています。もし何かご一緒できれば』と丁寧にご挨拶していただき、そこからご縁が続いて、今回のウクライナの避難者たちのイベントにも声をかけていただきました。
ウクライナの情勢についてはニュースで知るくらいの情報しかなく、軽はずみなことは言えませんが、みなさんが辛い状況であることはよくわかります。ですから僕は、たとえ1分、1秒でも、夢中になって非日常を味わえる時間をつくり、辛い時期を乗り越えるお手伝いをしたいと思い、参加させていただきました」

「ダイナミック・ペインティング」というワークショップでは、絵具を顔に塗るなど、自らが先頭を切って全身で大胆に絵具を使い、アートを自由に楽しむ姿勢を見せた中山氏。ウクライナの子どもたちも、両手や素足に絵具をつけてペタペタとペイントをする子がいたり、集中して作品づくりに熱中する子もいたり、参加者はみな自分なりにアートを満喫した。

「子どもって天才だなと思いましたね。例えば、皮膚に塗った絵具の“パリパリ感”を楽しむような子がいたり(笑)、大人がまったく想定していない遊び方をする姿は勉強になったし、子どもたちの笑顔に触れられてすごく楽しかった」

最後に、これまで中学教師からニューヨーク在住のアーティストになるまで、紆余曲折の道のりを歩んできた中山氏の次なる目標を聞いた。

「やっぱり一番は、アーティストとしての活動を続けて自分の名前を広げていくこと。単純に有名になりたいとかではなくて、名前が広がることで、できることって大きくなると思うんです。影響力をつけて、さっきも言ったように教育問題や環境問題を解決するサポートをしていきたい。あとは、特に日本で感じるんですが、いろんな場面で寛容さみたいなものがどんどん失われている気がするんです。陳腐な言い方かもれませんが、人に優しくできる社会をつくる手助けをしたいですね」

取材がひと段落すると、「まずい!真面目に語りすぎた!俺そんな人じゃないって(笑)。ちょっとふざけた感じでいいですからね」と焦りを見せる中山氏。こちらの質問には、熱心に返答してくれる一方で、自らの考えるイメージとは異なる部分があったのだろう。
自らの夢に邁進しつつも常に冷静な視線を持って周囲への気配りを忘れない中山氏の姿を見ていると、彼に何かあったときに、手助けをしたくなる友人の気持ちがわかった気がした。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

アートを通して、もっと寛容で優しい社会を実現したい
編集後記

多くの日本人にとって、日常とは少し離れている存在であるアート。現在、ストレスを緩和する「アートセラピー」や「臨床美術」という言葉が世界的に広がっているのをご存知ですか?これは芸術に触れ、自らクリエティブなアウトプットをすることで、ストレスを緩和する効果が期待できるというもの。インプットの多い日常生活では、アウトプットをすることがストレスケアにつながるそうです。単純にマジックペンでイラストを描くでも、廃棄物を使って作品をつくるでもOK。仕事から離れ、個人的な作品づくりに没頭してみると、意外なほどストレス解消ができるのを実感できるはずです。ぜひ一度やってみてくださいね。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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関連先リンク

アーティスト・中山 誠弥氏が“心のケア”をテーマにイベントを開催したオフィスビル「A YOTSUYA」

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