FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 022

大切な地元を、
元気で魅力ある場所として
いつまでも守るために
休みなく奮闘する仲泊区長の仕事

恩納村仲泊区長
大城 敦Atsushi ohki

2022年12月23日

日本有数のリゾート地が広がる沖縄県国頭郡恩納村。人口が約1万1000人ほどの大きくはない自治体だが、村役場が行う行政サービスを効率的に住民へ提供するため、15の行政区に分けて運営されている。
サンフロンティアの「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」が立地する、恩納村仲泊区の区長を務めるのが大城敦氏だ。祭事の仕切りなど住民同士の交流を取り計らう活動を中心にしながら、区の環境問題や人口減少・過疎化問題にも対応している。「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」のプロジェクトでは、交渉がスムーズに進むようサポートを行った。日々、地域の発展と伝統文化の保存のために尽力する大城氏の奮闘を聞かせてもらった。

恩納村で生まれ、東京暮らしの経験を経て、
地域を守る仲泊区長に

「ぐすーよーちゅーうがなびら(皆さん、こんにちは)。恩納村の仲泊までよく来たね」。恩納村のゆったりとした雰囲気とよく合う、うちなーぐち(沖縄の言葉)で迎えてくれた大城氏。まずは恩納村で生まれ、仲泊区の区長になるまでの半生を聞いた。

大城氏は、昭和30年に恩納村で生まれた。小さな頃から海に潜って貝を集めたり、珊瑚に囲まれた潮だまりで熱帯魚を眺めたりと、日常のなかに海がある暮らしだったという。高校では自動車整備を学び、卒業後は福岡県久留米市にある自動車工学を教示する学校へ進学した。その後、東京都江戸川区の会社へ就職。初めての東京は驚きの連続だった。

「寮から会社まで電車で通勤するでしょ?沖縄には鉄道がなかったから、こんなにいっぱい電車に乗らんといけんのか?と、カルチャーショックを受けた(笑)。納期というゴールまで一気に走る仕事のスピード感にも驚いたね。時間を管理される窮屈感はあったけれど、いわゆる『Time is money』を学んだかな。これはとても大切なことですね」

25歳のとき、高齢になった祖父から実家に戻らないかという相談があり、沖縄へとUターンし、過去の経験から中古車販売の会社で働くことになった。まだ涼しい早朝の時間帯から1日がはじまる“沖縄時間”に「故郷に戻ってきたな……」と実感したという。

その後、転職して土地改良事業の事務に従事。仲泊区の土地改良事業を推進してきた。4年間取り組んだところで、次代の仲泊区長候補が不在という事態を受け、1996年に大城氏が仲泊区長に就任。いざ業務に取り組むと、外から見ているだけではわからなかった、区長が行っていたさまざまな仕事や仲泊区の課題を知ることになった。

行事の裏方や文化交流センターの管理、
住民にとことん寄り添う区長の仕事

恩納村の各区長が行う仕事は、恩納村役場の行政サービスを住民へとつなげる橋渡しの役割や、役場への申請書・意見書の作成や提出、また、行事の管理など多岐にわたる。

「仲泊区は神事や祭祀にまつわる行事が多く、私も準備や運営に関わっています。例えば、旧暦の1月1日に行う『川拝み』という神事は、前年に誕生した子どもたちを区民に報告し、家族の健康や子孫繁栄を祈り、翌日の2日には海人(うみんちゅ)が中心となって海上安全や豊漁を祈願します。また、4年に一度、五穀豊穣を祈願する秋の豊年祭は、夕方から深夜まで続く活気がある大きな行事です」

豊年祭では、仲泊区独自の「琉球舞踊」や、沖縄古来の「組踊」の演舞を披露する。こうした催しの配役決めや練習の指導も、大城氏や、地域の年長者たちが務めている。

「当日は、私も裏方として動くんですけど、たくさんの演者が入れ替わり立ち替わり出るから、休む暇もなくバタバタです。最近は少子化で演者が減って人数不足なんだけど、地域にお願いすると不思議と参加者が集まる。地元愛もあるし、住民同士が協力して、時間を共有することを大切にする文化が昔からあるんでしょうね」

こうした行事以外にも、例えば仲泊公民館をリニューアルした「仲泊区文化交流センター」の管理も大城氏の仕事だ。文化交流センターでは、会議室の貸し出しや、三線や囲碁・将棋の教室などを開催している。また、コロナ禍で中断しているが、夏休みに子どもたちへの食育促進にも取り組む。さらに、区長らしからぬ仕事もある。簡易水道の断水などが起きると、住民は文化交流センターに連絡をしてくるという。連絡を受けると大城氏が現場を訪れて状況を把握し、必要な業者を手配する。

仲泊区の運営に関わる取り組みはもちろん、人手が多くない自治体では人員の確保が難しい役割を一手に引き受け、住民に寄り添いながら、暮らしを守ること。それが仲泊区長としての大城氏の仕事なのだ。

多くの課題を乗り越え、
完成したホテルには唯一無二の景観があった

大城氏は、立地場所の区長として「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」の開発に初期段階から関わった。大型リゾートホテルの建設に関わった経験はなかったが、地域の発展のために協力することを決めたのだという。
建築開始後も、ホテルの入口が高台にある地形のため、道路や立体駐車場の工事が難航するという問題が持ち上がるなど、順調に進まないことがあった。

「私は技術的なことはわかりませんが、ホテルの建築・施工を行った大興建設の社長が同級生なので、コミュニケーションの部分ではサポートできたかなと思います。
大変だったのは、海洋環境に悪影響のある赤土が海に流出しないように建設を進めること。赤土流出防止対策委員会を立ち上げ、専門家の指導を受けながら、月に一度、赤土を処理することにしたんですね。一度だけ、台風の強風にあおられて盛り土が崩れかけたことがありましたが、すぐに対策をしたので流出は防げました」

その後も大城氏は関与を続け、2021年3月1日、ついにグランドオープンを迎えた「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」。ホテルを訪れた大城氏は、その見晴らしの素晴らしさに驚きを隠せなかった。その秘密は、“沖縄本島のなかで陸地の幅がもっとも狭いエリアに建つ”というホテルの立地にある。

「恩納村にはたくさんのリゾートホテルがあるけれど、東海岸と西海岸の両方が見渡せるホテルは、『HIYORIオーシャンリゾート沖縄』だけじゃないかな。初めての風景に『高台から見る東海岸ってこんな眺めなんだ』と驚きましたね。長くこのあたりに住む私も感動したので、誰が見ても満足してもらえると思います。このあたりのリゾートホテルのなかでも群を抜いてすごいことをやってのけたと感じました。建設が難しい場所に建てたホテルだからこそ、眺められる景色があるんだなと」

実際、恩納村の15の区長が集まって、「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」で会合をした際、一同はここでしか見ることのできない圧倒的な見晴らしに加え、食事のクオリティにも驚き、恩納村の魅力を再確認できたという。

日本屈指のリゾート地・恩納村にある、
「環境保護」と「定住促進」という課題

東シナ海に面した恩納村は、2018年には「世界一サンゴにやさしい村」宣言をし、環境保護活動に力を入れている。大城氏も仲泊区長として自らができる方法で活動を促進している。

「東京から沖縄に戻ったとき、ウニや巻き貝がたくさんいた子どもの頃の海とは、美しさが全然ちがっていた。昔は天然のモズクが自生していましたが、海の環境が変わった影響もあるのか、近年は養殖モズクが多くなりました。あとは、地域の下水排水問題や地球温暖化による水温の問題もあって。すぐにはなかなか解決できない難しい状況なんだね」

実は、仲泊区にはまだ下水道の整備がされていない地域があり、早急な対策が求められている。しかし、整備には恩納村の補助が不可欠であり、村役場に申請をした際には「5年から10年くらいはかかるかもしれない」と言われた。こうした環境保全活動やインフラ整備など、規模の大きな事業を進めるには周囲の自治体との連携が必要なため、どうしても時間がかかり、思うようには進まない。それでも大城氏は笑顔で前を向く。

「大変なことだとは思うけどやっぱり、昔みたいに美しい仲泊に戻れるよう環境を整えていきたいね。以前はこのあたりの砂浜で産卵するウミガメが見られたけど、海岸のゴミが増えたせいもあって今ではだいぶ減少しています。見かねた地元の人たちがウォーキングをしながら海岸のゴミ拾いをしていますね。あとは、観光協会が主体となって、年に数回、恩納村の景観整備のために草刈りなんかもしています。仲泊区でも、区民が参加する清掃作業を実施したり、夏休みには子ども会で空き缶拾いも行ったりしています。小さなことかもしれませんが、できることからコツコツとやっていきたいね」

また、恩名村では、過疎化や人口減少も社会問題の1つだ。夏には短期リゾートバイトなどでたくさんの訪問者が滞在する一方、地元の若者の多くは県外へ転居してしまう現状がある。

「定住できる環境を整えるために村営住宅の計画をしていますが、今のままでは観光シーズンの一時的な滞在に使うことになりそうだから悩ましい。
この地域への移住を考えている人を対象に就職説明会などを開催したいんですが、定住して仕事に就くとなるとなかなか人が集まらず、効果的な方法を模索中です。地元の住民同士がもっと連携して支援する体制を整えないと定住促進は難しいと感じています。今はオンラインでの説明会もできますから、Webサービスをうまく活用しながら、若い人を呼び込んでいきたいね。これからも、住民たちで活気があって美しい仲泊にするために、自分たちなりにできることをやっていきますよ」

大城氏が語る恩納村の伝統行事や課題、未来などの話の端々から、彼が「恩納村をいかに大切に思っているか」を強く感じた。熱っぽく語るその姿を見て、「いつかは恩納村に住んでみるのもいいかもしれない」と思った取材メンバーも少なくない。移住促進を実現していくには、“その土地を愛する者が、その土地を語る姿”を見せることこそ、魅力を伝える最適な手段なのかもしれない、そう思わされた取材だった。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

美しい環境を取り戻しながら定住者を増やし、
地元住民と共に美しくて活気のある仲泊区を実現する
編集後記

都市部とは距離のあるエリアで大きな問題となっている人口減少・過疎化問題。これまで、地方への移住に興味があっても、「仕事をするのは会社や都市部でないと難しい」という認識が一般的であり、“働き方”が大きな懸念点の1つでした。しかし、数年前に比べ、リモートワークなどの働き方が飛躍的に普及した現在、移住のハードルは下がってきています。地域差はありますが、過疎化が進行した自治体では、地元民が人手を強く望んでいることもあり、“人の役に立つ”というやりがいを直接感じられる移住も少なくないようです。
買い物やインフラ面では都市部のようにはいかないこともありますが、興味があれば検討してみてはいかがでしょうか?ちなみに恩納村では、移住定住者に対して、「こども医療費助成(通院・入院:中学校まで全額補助)」、「給食費無料(幼稚園・中学校)」などの制度があるようです。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

FRONTIER JOURNEY メルマガ登録はこちら!

Voice

いただいたコメントの一部をご紹介いたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

文字数は250文字まででお願いいたします。
残り 文字

CAPTCHA


TOPへもどる