FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 005

日本でトップランナーの
1人であるアーティストが見た
「オフィス×アート」の近未来

アーティスト
丸橋 聡Satoshi Maruhashi

2022年8月12日

オフィスに「アート」という要素を掛け合わせて生まれた「A YOTSUYA」。ビジネスにおけるこの新たな挑戦において、「アート」の部分を背負った男がいる。彼は、アーティストのセレクトを行いながら、自らもその1人として参加するという困難なミッションをやり遂げた。我々の目には、未知数の方程式に映るオフィス×アートだが、創造の世界に生きる男の目には、どんな答えが見えていたのだろうか。

演者と裏方、成功と挫折、自信と不安、
揺れ動きながら成長していく丸橋氏の生き様

アーティスト、丸橋聡。洗練の極みに立ちつつも、少し言葉を交わせば、近所にいる“とっぽい兄貴”のような空気も醸す。これまでモデルや俳優、デザイナー、起業人など、微塵も型にはまることなく、眩しいくらい自由に生きてきた。

濃密な人生経験と、常人とは異なる熱量を発する丸橋氏に、まずは、その生き様を聞いた。

「僕は昭和45年生まれなんですが、父親がスーパーカーに乗っていたり、母親が海外から毎月VOGUEを取り寄せていたりするような両親のもとで、3兄弟の末っ子として自由に育てられました。学校も近所の公立で、母親から『こうなりなさい』なんてことは言われなかったけど、『一流になりたかったら、一流を学んで、一流を見て、一流に触れなさい』なんてね。結構尖った教育だったかもね(笑)」

幼い頃から洗練されたカルチャーを浴びて育った丸橋氏が、20歳になって選んだのはモデルだった。当時は、カメラ前で笑顔は一切なく、長髪で色黒という王道のモデルとは一線を画すスタイル。「自分なりに考えた差別化の戦略だった……いや天邪鬼なだけか」と丸橋氏は笑うが、その無二の個性は、雑誌や広告、大手企業のTVCMを引き寄せ、俳優業にも進出。
順風満帆に見える中、意外なきっかけから、自らビジネスも興す。

「23歳くらいのとき、ラジオで武田鉄矢さんが『男は25までに動くべきだ』って言うのを聞いて、そうなんだと思って(笑)。当時、スノーボードとかサーフィンとかにハマって、海外によく遊びに行っていたので、モデル業と並行しながらボードの輸入業を始めたんです。英語もできずに熱意だけで。その後、日本でお店をつくってね。そのうちオリジナルTシャツのデザインとか、アパレル業も行うようになりました」

こうして自らのブランドを立ち上げた丸橋氏。30代には、当時としては斬新だったカラフルなロードバイクのブランドをつくり、デザインと販売を行う会社もスタートした。ビジネスは順調に成功していたが、40代になり、転機が訪れる。

「僕にとっては、モデルをするのも、ブランドを立ち上げるのも同じで、熱量を凝縮させた“ものづくり”がしたかったんです。当然、自身のものづくりでも、かっこよくて、想いのこもったものを生み出したい。
一方で、ビジネスだから会社では『売れればいいでしょ』なんて声もあって。軋轢が生まれ、あるときに衝突。溝はどんどん深くなり、ビジネスは一気に傾きました。最終的には、会社も仲間もお金も何にもなくなった。大失敗で1日500円暮らし。それまでの自信は消し飛び、どこにも居場所がなかった」

“人生が終わった”と思うほどの挫折を経験し、生きるだけの暮らしを送る丸橋氏を救ったのは、古くからの親友。彼の安否を確認するため、毎朝6時に連絡をくれたという。

「『おれにはもう何にもできない』なんて話をしていたら、そいつは『自分のやってきたことを箇条書きにしてみろ。おれは営業しかできない。でもお前はビジネスも、デザインも、ブランディングもできる。やらないのはもったいないだろ』と言われて。『おれにもできることあるんじゃん』って、フッと軽くなった。もう1回やってやろうという気持ちが湧いてきたんです。
ちょうどそのとき、海外の友人から日本でイベントをやるから手伝ってくれという連絡があり、それがアートのフェスでした」

自らのすべてのエネルギーを使って作品に
生き様をこめれば、どんな人生もアートになる

丸橋氏は、親友の言葉に勇気をもらい、アートフェスのサポートをしながら再起していく。アートに触れ、エネルギーをもらった彼が、そこに熱量を注ぐのは必然だった。

「アパレル業の頃はアーティストとコラボしたり、アートは身近な存在でした。自分がアーティストになろうと思ったことはなかったけど、“ものづくり”は一生続けたかったから、その最高峰を目指したいと思って、それならアーティストだろうと。何より自由で楽しそうだしね」

もちろん、そこは何十年続けながらも、芽が出ないこともある厳しい世界。40代半ばで“オールドルーキー”となった丸橋氏だが、年齢のことなど目もくれず、がむしゃらに挑戦していく。

「スタートが遅いし、もう死に物狂いよ。細かいこと言えば、絵具の使い方とか、テクスチャーのつくり方とか、学校で勉強していない分、全部独学。毎日研究して制作しての繰り返し。当時は、『美大で学んだ人には勝てない』って嫌になる時期もあったし、逆に、『海外でビジネスをして、大失敗も経験した、この人生経験は誰にも負けない』と自信が湧くこともあった。気持ちの揺れ幅はすごかったですね」

修行時代を過ごす中で、丸橋氏にはアーティストとしての成長を感じた瞬間が2度あった。1つは、染物職人のもとで染物を学んでいたとき。途中で失敗し、やり直したいと思ったが「そのままやってみな」と言われ、不本意ながらも続けた。完成品を見ると失敗した部分はあるが、それが“染物における自分自身”を投影していることに気づく。「失敗も作品の一部」ということが身に染みた瞬間だった。

もう1つは、いつものように作品を制作している中、なぜか集中力が一段と高まり、一心不乱に描き続けたときだ。終わると立っていられないほどクタクタになり、初めて“作品に魂が宿った”と感じた。

「作品に自分のすべてのパワーが乗り移った感じがしてね。『綺麗な作品ですね』と言われることはあったけど、その頃から『エネルギッシュですね』と言ってもらえることが増えた。これが僕のアートへのアプローチなんだって確信できましたね。それを見つけてからは、生き様とか感情を、キャンバスへ表現できることも増えたと感じています」

徐々に認知も広がり、アーティストとしての自信がもてるようになったという丸橋氏。人によってアートの定義や役割はさまざまだが、彼は“Life is art.”、「誰しもの人生がアートだ」と言う。

「僕の考えるアートは、人生の輝いた部分も、仄暗い部分も、生き様すべてを表現すること。生き様だから、マーケティングとかトレンドなんて関係ない。それで、見た人にエネルギーを与えたり、価値観を揺さぶれたりしたら最高ですね」

もう1つ、丸橋氏のアートとの関わりの中で、珍しいのがプロデュースだ。若くて未来のある者や、才気はあるが埋もれた者に声をかけ、「一緒にやってみない?」と声をかける。自分の世界を突き詰めるアーティストの中で、こうした資質は稀有だろう。(サンフロンティアの)“利他”の精神にも通ずる考え方も、さまざまな経験を経てきた丸橋氏の生き様の賜物だった。

「プロデュースはストレスもあるし、アートで食えるようにはなったから、本音を言えば自分の制作だけをやりたいんですけどね(笑)。
僕は“お金を稼ぐ人だけが偉い”みたいな風潮が嫌で、アーティストの地位を上げ、憧れられる存在にしたいんです。アートで社会にインパクトを与えるには、人が集まったほうがいいし、僕は若い頃から色んなことをしてきて、物事を俯瞰で見る感覚もあるから、役に立てるならって思いました。まぁ頼られると放っとけないだけなのかもしれないけど(笑)」

「A YOTSUYA」が体現する、
オフィスとアートのコラボレーション

「A YOTSUYA」を立ち上げた小田と丸橋氏が出会ったのは2019年。もともと丸橋氏には、サンフロンティアで働く友人がおり、当時、アート×オフィスの可能性も模索していた小田に会って欲しいと言われ、自らの個展に小田を招いた。

「小田さんとはアートや空間デザイン、ビジネスの話で盛り上がり、アーティストとしての僕の理解者に巡り合えた感覚でした。『アートで部屋を選ぶシェアオフィス』というコンセプトも、いつか実現したいと思っていたアイディアに似ていて、一緒にやりたいと思いました」

しかし、当初の計画は、新型コロナウイルスの影響で頓挫(詳しくは前回)。そこで、丸橋氏本人も含め、彼が厳選したアーティストたちに声をかけ、壁面などに作品を描いてもらうことになった。

「僕がアーティストを選んだ基準は、『A YOTSUYA』のコンセプトに共感してくれることと人間性。とはいえ、コンセプトを伝えたら、ほとんどが『ぜひやりたい』って言ってくれましたけどね。直感で生きるアーティストだから、アートとオフィスが融合する可能性を見抜いたんだと思います」

「A YOTSUYA」で、丸橋氏のアートが置かれているのは、大きな窓のおかげで自然光に満ちた1階の部屋。飾られているのは「Life is Beautiful」というシリーズの作品だ(上写真)。離れた場所から眺めるとカラフルで美しいが、近づくとヒビ割れやシワなどの凹凸が目立つ。暗くすると陰影ができ、厳しい印象にもなる。眺めていると、移りゆく人生にはいいとき、悪いときがあり、加齢も避けられないが、俯瞰して見れば美しくなる、そんな風に人生を肯定してくれるような優しさを感じた。ビジネスでいうなら、変化を楽しめというメッセージもあるのだろうか。
想いをぶつけると、丸橋氏は「自由に捉えてください」とかわし、彼にとってのオフィスとアートの交わりを教えてくれた。

「僕が思うオフィスは、自由な発想力が生まれる場所。経験と直感を融合させて、“今までにないものを生み出す”のがイノベーションなら、それはアートとまったく一緒です。構造が同じものだから、イノベーションのために、アートに触れるのは意義深いですよ。世界のビジネスリーダーはアートを学んでいますしね。

もう1つ、経験したことがある人しかわからないかもしれませんが、以前の僕のオフィスにもウォールアートがあり、無機質な部屋よりもアートがある部屋のほうが、仕事が進むんです。『A YOTSUYA』でも、僕の作品を置いた、普段は開放している部屋で、サンフロンティアの方も仕事をしていますしね(笑)。だから、“ただアートがあるおしゃれな部屋”と勘違いされないよう、アートはビジネスにとって優れた影響があることを皆さんに伝えていきたい」

丸橋氏の思う、アートとビジネスが融合した未来想像図

丸橋氏には、“ビジネスとアートの交わり”という視点で、2つの目標がある。

「『A YOTSUYA』に関しては、せっかくオフィス×アートという新しいビジネスの扉を開けようとしているわけですから、入居待ちの状態にして大成功させたいです。そうなればビジネスにおけるアートのパワーも伝わるし、双方が相乗効果で盛り上がっていくと思います。

もう1つが、いつか“アーティストホテル”をつくること。それはまだ僕の頭の中にしかありませんが、例えば1階がギャラリーで、エントランスやラウンジ、部屋には、日本中の優れたアーティストがつくった仕掛けや作品が並んで、訪れた人の度肝を抜く空間。建物が丸々アートになるようなホテルです。アートに距離感がある日本人でも、体験してもらえばその価値観を一気に変えられると思うんです。
“アーティストホテル”で、かつての勢いを失った日本を応援し、『アーティストってすごい』と思わせる場所をつくり出したい」

アーティストの視点で見れば、「A YOTSUYA」は、作品を展示するギャラリーであるのはもちろんだが、オフィスと融合したアートを創造する実験の場、つまりはアトリエの1つなのだ。丸橋氏にとって、オフィス×アートは、最適解を見つけるものではなく、アーティストはもちろん、「A YOTSUYA」のスタッフや入居者と一緒に、つくり上げていくものなのだろう。

次回の「Frontier Journey」ではA YOTSUYAに入居する株式会社PETOKOTOの代表、大久保泰介さんにインタビュー。気鋭の起業家の考えるペット×アート×ビジネスの新世界をのぞいてみよう。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

アートをもっと身近な存在にして、若いアーティストが自らをもっと誇りに感じられるようにする。
編集後記

ここ数年、『世界のリーダー達はなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」(光文社新書)』、『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること(クロスメディア・パブリッシング)』など、一流のビジネスパーソンとアートの関係を考察する書籍が話題だ。これらに共通するのは、複雑になりすぎた現代社会においては、「論理」では太刀打ちできず、磨き抜かれた「感性」と、そこから生まれる研ぎ澄まされた「直感」こそが、正しい判断を導くということだ。そして無駄なものを削ぎ落し、「直感」を磨く方法がアートなのだという。天才を授かったアーティストが、巨大なビジネスの意思決定を行う今、その種が、「A YOTSUYA」に撒かれると考えると、ワクワクしてくるはずだ。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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