FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 025

三百余年続く重いバトンを継いだ“銀座商人”
より良い街へと進化させる――。
胡坐をかかず挑戦を続ける情熱の原風景

銀座丸八株式会社 代表取締役社長
松澤 芳邦Yoshikuni Matsuzawa

2023年1月20日

多くの老舗企業が息づく街、銀座。銀座丸八は1696年、元禄の時代からこの街で事業を営んでいる。300年以上続く同社において、現在社長を務めるのが松澤芳邦氏だ。
少し言葉を交わせば、教養を備えた柔らかな佇まいをすぐに感じることができる。しかし、銀座という街で奮闘する裏には、銀行、証券会社やベンチャーキャピタルでの経験、それに人並み以上の努力と苦労があった。彼に宿る熱いチャレンジ精神の源、そして見据える銀座の未来について聞いた。

吹奏楽部の創設で学び、人生の軸になった
“新しいもの”をつくるやりがいと大変さ

松澤氏は、先祖代々にわたって不動産業を営む家柄でありながら、学生時代から金融マン時代、そして現在まで絶えず“新たな挑戦”を続けている。受け継いだものを守るだけにとどまらない、そのチャレンジングな精神の原点は、高校生の頃に取り組んだ部活動の創部にあるという。

「幼少期から音楽が大好きで小学生の頃に吹奏楽部で楽器をはじめ、中学からは金管楽器の一種であるユーフォニアムの演奏に熱中していました。演奏自体はもちろん、合奏で感じるメンバーとの一体感が楽しくて、心地よかったですね。また、一般的な音楽好きとは少しちがうかもしれませんが、コンクールで自身の努力が評価され、順位という形で見える化されることにすごくワクワクしました。
ただ、高校に行くとコンクールに出場できる吹奏楽部が無く……。ならばいっそと思い、2年生のとき自分が発起人となり、友人2人を誘って吹奏楽部をつくることにしたんです」

自分たち3名以外は部員もいなければ顧問もいないばかりか、楽器もない。まったくの0からのスタートだった。

「もちろん、創部の経験なんてないのですべてが手探りでした。特に大変だったのが楽器を用意すること。吹奏楽として成立させるには数千万円分の楽器が必要で、学校に用意してもらわないとスタートすらできない。そこで学校に掛け合い、野球やアメフトといった部活の応援をするという条件で、なんとか資金を出してもらいました」

こうして楽器を用意して吹奏楽部を新設し、約30名の部員が集まった。とはいえ、リーダーとして新しい部活を運営していくにはさまざまな課題があり、苦労の連続だったという。

「部活としてやるからには顧問の先生を探さなければならないし、定期演奏会のような発表の場も企画する必要がありました。また、念願だったコンクールに参加するには『全日本吹奏楽連盟』に所属しなければならないことを知り、手探りで加盟の手続きを行いました。それに、部員を上達させるための練習法も自分たちで考えました。一から十まで手づくりだったのでかなり大変でしたね。吹奏楽部を立ち上げた3人で互いに慰め合い、ときにののしり合い、ほとんど泣きながら毎日過ごしていました(笑)」

松澤氏いわく、高校生でありながら「毎日のようにタスクに追い込まれ、目先のことをひたすら解決していくような感覚」で過ごした日々だったという。しかし、そんな経験だからこそ、そこには何にも変えられない達成感があった。

「『新しいものをつくり上げる』ことのやりがいや大変さを知りましたね。今思えばすごく楽しかった。当時はそうは思えませんでしたが(笑)。この経験により、周囲のために新たなことにチャレンジしていくという姿勢が、私のキャリアの軸になっていきました」

利他をとことん追求し、人の役に立つ
ベンチャーキャピタルの仕事

大学を卒業した松澤氏は、大手の金融機関へと就職。中小企業を資金面からサポートする業務に従事し、数年後には証券会社に出向した。日々の業務にやりがいを覚えつつも、「新しいことにチャレンジしたい」という気持ちを抱え、どこか物足りなさを感じていたという。そんなとき、心のモヤモヤを晴らしてくれる、あるビジネスの存在を知る。

「ベンチャーキャピタルです。スタートアップ企業の株を取得し、経営支援をしながら株式を上場させ、キャピタルゲインで利益を出すというビジネス。いくつもの企業に関わって上場に挑戦するなんて、こんな面白い仕事があったのかと。当時はあまり一般的でなかったので、転職も視野に入れて調べてみると、自社のグループ会社にベンチャーキャピタルがありました。それで、すぐに社内公募制度を使って出向したのです」

出向したベンチャーキャピタルでは、“新しいことにトライする”のが日常であり、「天職をみつけた」と松澤氏は笑う。

「本当に楽しくて仕方なかった。有望で意欲のある会社を発掘し、投資を行うんですが、自分自身が経営に深く関わり、あの手この手を考え出して上場を目指す。いい結果が出る、つまり上場するまでには最低でも5年くらいはかかるので、企業との関わりも深くなり、他に代えがたいやりがいを感じました」

とはいえ、スタートアップが育ちにくい文化や風土のある日本において、ベンチャーキャピタルはうまくいかないことも多い。上司からきつく詰められる日々が続くこともあったそうだが、松澤氏はその状況もうまく自分の味方につけた。

「正直、ベンチャーキャピタルの投資成功率は大体2割程度。投資して2〜3年後には潰れてしまうか、潰れないまでもうまくいかなくなる残酷な世界です。ベンチャーキャピタルの担当者は、想定していたビジネスモデルが崩壊しても、なんとか立て直すため、必死にもがかなければなりません。また、投資先を決めるときには、自分の見出したベンチャー企業の優位性などを上層部へプレゼンするのですが、うまくいかなくなると『あれだけ語っておいて、この結果か』と厳しくなじられるんですね。
もちろん、辛いと思うこともありましたが、厳しく注意する上司を自分の案件に巻き込んで取り組めるようになってからは、組織としての力が出せるようになりました」

ベンチャーキャピタルという仕事の魅力は、“究極の利他”にあると松澤氏は胸を張る。

「投資しても、リターンがあるのは上場してから。では上場するまで何をするのかというと、ただただ投資した企業に尽くすんですね。そうして利他の精神で支援を続けて、ようやくリターンが得られたときの喜びは、何物にも代えられません。心の底から、人の役に立っていると感じることのできる仕事なんです」

ベンチャーキャピタルの仕事は、松澤氏が学生時代に経験した創部の苦労とも通じるところがあるのだろう。挑戦するからこそ得られる喜びが、彼の最大のモチベーションとなっているのだ。

「この仕事をずっと続けたかったんですが、ベンチャーキャピタルに出向して10年以上経ち、出向を終えなければならなくなった。銀行業務に戻ったものの、やはりベンチャーキャピタルの楽しさを忘れられず……。モヤモヤしていた時期にちょうど親と話す機会があり、家業を継ぐことを次の挑戦にしてみようと考えるようになったんです」

銀座ならではのテナント戦略で、
家業のビジネスモデルを転換

44歳のとき、松澤氏は家業を継ぐことを決意。長らく金融業界に身を置いていたため、不動産業は畑違い。そこで、同業の関係者や地主の諸先輩から教えを請い事業計画を立てることからはじめた。また、銀座を歩き回り、銀座特有の不動産の事情を理解することにも努めたという。

銀座はブランド店舗の集積地であり、世界トップクラスの高級ブランドは大きな物件を借りる。しかし、高級ブランドであっても、例えば宝飾や時計などの業種の場合、銀座に本店を構えたいが、大きな売り場面積は必要ないというニーズがある。しかも、商業施設の一角に店舗を構えるよりも、小規模なビルの路面、場合によっては一棟を丸ごと借りるほうが、建物の外壁全面を使ってブランドイメージを表現することができるというメリットがある。松澤氏はここに目を付けた。

「ブランドが生まれたヨーロッパなどでは、文化財のような歴史的な建築物が多く、外壁を丸ごと自由にデザインするのは難しい。でも、銀座なら実現できる可能性があり、ブランドにとってはそれが大きなメリットになるんです。ブランドのニーズに寄り添ったビルを建てることが、銀座におけるこれからの不動産開発のポイントの1つだと考えています」

家業を継いだ当初は、土地はあれど、所有ビルは3棟だったが、松澤氏は、小規模ビルにこそビジネスの光明があると考え、ビジネスモデルを転換。所有するビルを8棟まで増やし、地代を柱とするビジネスからテナント料を柱とするビジネスへと切り替えた。

「最初は先代ともぶつかりましたよ(笑)。当然すぐには理解してもらえない部分があるので、数字で根拠を示しながら粘り強く説得しました。銀行やベンチャーキャピタルで学んだ知識を生かしてシミュレーションを示し、実際に投資回収もスピーディーにできたことから、今ではこのビジネスモデルを信じてもらえるようになりましたね」

ベンチャーキャピタルで多数の新規プロジェクトを手がけてきた松澤氏は、フロンティアスピリットで家業にまい進しており、現在も銀座丸八のビジネスは加速を続けている。

歴史を紡ぐ当事者として知恵を絞り、
銀座の街をより良いものにする

銀座という街のブランドを守る活動にも尽力している松澤氏。銀座通連合会や全銀座会などにボランティアで参加し、日々、銀座の街を良くするために議論を交わしている。

Frontier Journey Vol.24で紹介したように、日本橋や丸の内などは、大手デベロッパーの影響力が強い一方で、銀座は大小さまざまの不動産所有者やテナントが寄り集まった街である。日本橋や丸の内と戦っていくためには、銀座の一人ひとりが銀座の街の価値を意識して動かなければならないのだと、松澤氏は語る。

「僕は銀座の環境安全委員長を務めているのですが、“これをやりましょう”と言っても全員がすぐに同じ方向を見てくれるわけではなくて。吹奏楽部を立ち上げたときや、ベンチャーキャピタルで投資したときと同じように、自分自身が率先して動き、思いを伝えなければ人は動いてくれないんです。銀座の街を良くしたいという気持ちは誰もが同じなので、皆の気持ちを動かしてアクションにつなげていく。そこを意識しています」

銀座の歴史をひも解くなかで、戦前の町会座談会の資料を銀座の仲間から頂戴した。

「聞いたことのある苗字が資料に並んでいました。現在は、その孫やひ孫が町会活動で銀座の街を引っ張っているんです。我々は、銀座の歴史という縦の線をつないでいる一点でしかない。また、銀座は比較的小さな企業の集合体ですから、銀座という街が横糸だとしたら、僕自身はそのほんの一点に過ぎません。だから、皆で協力し合って、銀座の街を良くするために全力で取り組まないと、他の街とは異なる独自の価値は生まれないんです。今後の人生で成し遂げるべきことは、銀座全体の価値を上げていくこと。これに尽きると思います」

EC化が進む社会でも、店舗の価値はなくならないと松澤氏は考える。顧客が店舗に足を運んで素材の良さを吟味し、ブランドが提供する世界観を肌で感じ、そのブランドのファンになっていく。この体験は、ECではできないことだ。店舗数を削減する戦略に切り替えたブランドであっても、集約した店舗についてはクオリティを高め、ブランドの世界観を伝える場としてこれまで以上に重視している。その際、店舗を残す場所として選択される街の1つが銀座なのだという。

「ある海外ブランドが日本に店舗を設けるとなったとき、もっともっと選んでもらえる街に我々がしていかなければなりません。中小企業の連合軍として、明日の銀座がもっといい銀座であるために、皆で知恵を絞りながら良いものをつくっていく。これが僕の願いですね」

先祖代々銀座の街を守ってきた松澤氏は、現状維持では決して満足しない。学生時代の創部経験、そしてベンチャーキャピタルでのキャリアで培った「挑戦力」を活かし、これからも「世界に誇れる銀座の街」のために、力を尽くすことだろう。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

明日の銀座が、もっと良い銀座であるために。
現状に甘んじず、仲間とともに挑戦し続ける。
編集後記

きらびやかな銀座の街は、先祖代々、地域を構成する一人ひとりの力で守られてきた。そんな、紡がれた歴史のリアルが垣間見えた取材でした。銀座の地主というと誰もがうらやむかもしれませんが、その実情は決して楽なものではなく、むしろ大変なことも多いようです。受け継いだものを守り抜くだけでなく、「街をより良くしたい」という一心で挑戦を続けることの大切さを実感しました。その挑戦には、松澤氏のこれまでの歩み、そしてベンチャーキャピタルで事業の盛衰に直接関わってきたキャリアが存分に生かされています。今後の銀座の発展、そして未来の街の姿が楽しみでなりません。

この3月、FRONTIER JOURNEYのライブ配信版 FRONTIER JOURNEY Live! がスタートしました。
第1回のテーマは「東京を世界一愛されるグローバル都市へ!『銀座』流の街づくり」です。
ご視聴はこちらから:第1回 FRONTIER JOURNEY Live!

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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