FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 036

鏡のように磨き抜かれた革靴
込められたプロのメッセージとは

執行役員/アセットマネジメント本部 建設部 部長
若尾 健二Kenji Wakao

2023年6月16日

体にフィットした仕立ての良いスーツに、清潔な白シャツ、広告写真のように理想的な結び目のネクタイ、そしてピカピカの革靴……サンフロンティアの執行役員である若尾健二に対面すると、まずは完璧な着こなしに、こちらの気が引き締まる。しかし、柔和な笑顔を絶やさず、優しい語り口とロジカルな伝え方に、若尾と5分も話すと自然とリラックスし心を開いている自分に気づく。
若い頃から、ファッションでもスポーツでも、もちろん仕事でも、「自由に生きてきた」という彼の半生には、強くしなやかな軸と、未知の世界に果敢に飛び込む勇気、そしていくつもの運命的な出会いがあった。

サッカーとロカビリーに熱中した学生時代、知らないうちに譲れない人生の軸を学んだ

若尾の半生を聞いていると、学生時代から変わらない一貫した嗜好や資質、視点がいくつも見えてくる。

岐阜県で生まれた若尾は、小学生の頃から、スイミングや吹奏楽、野球など、さまざまなスポーツやカルチャーを体験。そんななかで、当時大人気だったあるスポーツ漫画の影響を受け、中学ではサッカーにのめり込んだ。入部希望者が1学年60名もいるなかで、練習漬けの日々を送った若尾は、見事にレギュラーを勝ち取る。そればかりか県の選抜に選ばれるほどの選手に成長した。そして、中学時代に熱中したもう1つが「ロカビリー」だ。

「当時としては珍しく、通った中学が長髪OKだったこともあり、ファッションや髪型に敏感な先輩がいたんです。リーゼントにしている人なんかもいて、その影響でロカビリーや古着、ヴィンテージにはまりました。なぜかはわかりませんが、昔から“古いものをきれいにして長く使う”ことが大好きだった自分の嗜好にすっかり」

「若尾さんもリーゼントだったんですか?」と聞くと、「私は、当時でいう不良っぽい感じではなくロカビリーそのものに傾倒していたので、派手さを求めるのとは違っていたかな……(笑)」とはにかんだ。さらに、現在にもつながる若尾の原点も、「ロカビリー」にあるという。

「原宿にロカビリーファッションの草分けのようなお店があって。買いに行きたいけれど、岐阜県の中学生には難しい。当時はそんな若者のために、カタログ注文する通信販売があったんです。ただ、カタログにあるのは、白黒の手書きで『ダイヤ柄ブルゾン』などの説明文と簡単なイラストだけ。ですから、必死に妄想するしかない(笑)。それまでジャージ一辺倒で何の知識もありませんでしたが、どんな服なのか、どんなコーディネートに合うのか、自分が着ている姿を一生懸命イメージしました。
“2次元の情報から3次元の世界を想像する”能力はこの頃の経験が出発点でそこから鍛えられ、私の現在の仕事に繋がっています」

その後、高校入学の時期になるが、父親が他界するという不幸に見舞われた。母子家庭となった若尾のもとに、複数の高校から「授業料免除」「遠征・用具費免除」などの好条件でサッカー推薦の話が届いた。しかし、若尾はすべて断り、選んだのは父親が一期生で卒業した高校だった。

「元々父親との接点はあまり多くなくて……サッカーの送り迎えはしてくれたかな。当時、父親が亡くなったことが、高校の選択にどう影響したかはわかりません。それよりも、“母子家庭だからサッカー推薦で好条件の高校へ行く”というような、周囲に決められたレールに乗るのがイヤだったんだと思います。当時から私は“自由に生きたい”という思いが強かったんだと思います。
母子家庭になったとはいえ、母親は病院で勤務していましたし、選んだのは県立の進学校ですから、家族に大きな負担をかけたわけではありませんよ(笑)」

若尾は高校でもサッカー部に入部した。しかし典型的な弱小校で未経験者が多く、小さな市大会ですら1回戦を勝ち上がるのも難しい状態だったという。若尾は自らがキャプテンとなり、全員で勝ちあがるためのチームビルドを行なった。

「監督と協力しながらですが、左足が利かない人をあえて左サイドに配置してみたり、上手でない人でも戦える戦略を徹底的に考えたり、適材適所の工夫をしました。3年間、がむしゃらに頑張った結果、最後の県大会では、準優勝することができました」

小学生から高校生までの間に形成された、“古いものをきれいにして長く使う”、“2次元の情報から3次元の世界を想像する”、“自由に生きる”、“課題をロジックで解決し結果を出す”という若尾の軸となる嗜好や資質。これらは彼の後の人生にも登場し、若尾を導いていくことになる。

建設業界の基礎を学び、念願だった仕事に携わるためにサンフロンティアへ転職

若尾は中学時代から広告などに掲載される建築パースに興味をもっており、高校卒業後は建築系の大学に進学。その際も、彼の“自由に生きたい”という強い想いが発露した。

「東京の大学に進学するのですが、周囲には相談せずに、『パース描けたらいいな、建築って面白そうだな』という自分の気持ちだけで決め、母親へは事後報告(笑)。今思えば母子家庭ですから地元に残るという選択肢もありましたが、若さゆえに余裕がなかったんです。母親も、私に何か言っても聞かないことはわかっているので、二つ返事で『行ってきなさい』と送り出してくれました」

大学でもサッカーは続けたが、怪我をしたこともあり、中学や高校ほどはのめり込めず、代わりにさまざまなバイトを経験。大学卒業後は、名古屋にある大学院へ進学し、建築の知見を深めた。

「大学院卒業後は、さきほども話した通り、“古いものをきれいにして長く使う”ことに魅力を感じていたので、“古い建物をきれいにして使い続けるような仕事”に携わりたいと思っていました。しかし、どこに行けばそういう仕事ができるのかわからず、とりあえず建築の現場を学ぶためにゼネコンに行こうと決めました」

大学院にはゼネコンへの推薦枠があったが、首席の同級生が枠を使うことになり、若尾は落とされてしまう。途方にくれるなか、たまたまキャンパスを訪れた別のゼネコンに勤める卒業生から「就職先が決まってないならうちに来い」と少々強引な誘いが掛かった。

「申し訳ないことに名前も知らないゼネコンでしたが、働く場所がなかったので、すぐに『行きます!』と(笑)。あとで調べたら、ちゃんとした会社だったので安心しました。
入社後はすぐに建設現場に配属され、ヘルメットを被って作業着を着て、現場でものづくりの毎日。興味のあった古い建物のリニューアルや改修を担当させてもらうこともあり、“建物を効率的に建てる”業務をひと通り経験できました」

9年間ゼネコンに在籍し、建設の基本的な技術や知識を身につけた若尾は、よりダイレクトに “古い建物をきれいにして使い続けるような仕事”に携わるために転職を決意。ここでも、運命の出会いがあった。

「東陽町の現場から帰るとき、駅で『サンフロンティア不動産』の看板を持つ人が目に入ったんです。その社名も聞いたことはなかったのですが(笑)、何気なく調べたら、建物のリプランニングをメインに行っていると。直感的に『行ってみたい!』と感じ、すぐにホームページから応募しました」

その後は、トントン拍子に話が進む。担当者と面接を行い、次の最終面接で対面したのは、創業者であり、現会長の堀口だった。

「彼は部屋に現れるなり、『よろしくね〜』なんて握手をして、ものの5分で面接は終わりました。ただ、ひとつだけ聞かれたのは『あなたはなんのために生きてきたの?』という質問。転職を決意した理由の1つなのですが、ゼネコンでは担当する建物の規模が大きくなると発注者が合同会社になったりして、誰が本当の発注者なのか、見えにくくなる。『ありがとう』と言われることもなくなり、自分の仕事が誰の役に立っているかが不鮮明になっていたんです。そんな経緯もあり『人の役に立つ仕事をするためです』と答えました。堀口の理念と重なったのか、すぐに入社が決まりました」

刺激的な現場でさまざまな困難を乗り越え、ビジネスパーソンとして大きく成長

サンフロンティアに入社し、作業着を着ることはなくなったが、若尾にとってリプランニング(不動産再生)の現場に関わる仕事は刺激的だった。

「ゼネコンでは基本的にプロジェクトごとに決まった現場で仕事をしますが、サンフロンティアではさまざまな現場を回るので、そのスタイルの違いに最初は驚きました。でも、興味のあった“古い建物をきれいにして使い続ける仕事”に、現場の最前線で携われるのは本当に楽しかった。協力会社の人たちと『ああでもない』『こうでもない』と議論しながらつくり上げていくことに大きなやりがいを感じました」

そして、入社後1年もしないうちに、なんと200億円規模のプロジェクトにサンフロンティアからたった1人で参加することになった。

「グローバル金融機関と共同出資した200億円のプロジェクトのコンストラクション・マネジメント(CM)をする話は聞いていたんですが、『すごいなぁ、誰がやるんだろう』なんて思っていたら、『お前が1人でやるんだよ』と言われてびっくりですよ(笑)。」

CMとは、発注者と、設計者・施工者が契約を結ぶ建設プロジェクトにおいて、建設事業の専門知識が十分でない発注者の立場に立って技術的な補完を行い、施工物のミスマッチを起こすリスクを避ける手法のこと。ゼネコンに勤務した経験があり、建設現場の知識と経験に習熟する若尾に白羽の矢が立てられたのだ。

「もちろん、ある程度の知識は学んでいましたが、初めてのCMでわからないことも無数にありました。外部の協力会社さんたちに毎日のように話を聞き、力を貸してもらいながら、やっとのことでなんとかこなす、という日々。そんな状態に追い討ちをかけたのがリーマン・ショック。最悪のタイミングです。
工事はもう進んでいるのに、『すぐに止めろ』『損害を抑えろ』という指示もあり、かなりのプレッシャーでした。最終的には『竣工させないと負債が増える』ということになり、なんとか完成までたどり着きました。ひとえにパートナーの人たちのおかげです」

こうした困難な仕事を乗り越えてきた若尾は、35歳でサンフロンティアに転職してから、飛躍的に成長できたと実感する。

「難しいプロジェクトを経験し、技術と熱意のある社外の協力会社と信頼関係をつくれたことで、以前よりはるかに高品質なものづくりができるようになっていきました。パートナーと長くお付き合いをしながら一緒に成長していけるサンフロンティアのビジネスはすごく面白い。
あとはコミュニケーション。“2次元の情報から3次元の世界を想像する”能力は進化を続けました。現在でも例えば見積書を眺めていると3次元の建物が浮かび上がってくる。ゼネコン時代は、それができる人ばかりだったので伝え方を考えることはありませんでしたが、当社ではさまざまなお客さまやパートナーがいますから、理解しやすい伝え方を体系的に学び、仕草や目線などから、相手に合わせた話し方を心がけるようになりました。
それと、成長とは異なるかもしれませんが、ものごとの一部分から、視点を変えて全体像を考える習慣が身につきましたね。これは建設においても、ビルの外観や設備の一部から、『この部分がこうだと全体的にこうなるな』と、アイデアを考えるときに役立っています。“木を見て森を見ず”なんて言葉がありますが、私の場合は“木と森を行き来する”というイメージかな」

“現場をきれいに保つ”ために行った、若尾のひと言

サンフロンティアに入社して15年、現在では建設部の部長と執行役員を兼任する若尾は、社員を指導する立場だ。彼の指導者としての顔はどんなものなのだろうか。

「怒ることや声を荒げることはないですよ。新入社員にだって私より優れた部分は当然あって、リスペクトします。問題が起こったときは、むしろ『なぜ私は止めなかったのか』と自分を責めますね。
ただ1つだけ、現場を徹底してきれいにすることには拘っています。ゼネコン時代に『トイレが汚い現場は、品質が低い』と教えられたのですが、それは本当にどの現場でも当てはまる。例えば内装の解体を行うと廃材が散乱してしまいがちですが、当社の事業はテナントさんが使われるビルですから、汚いままでいい理由なんてありません。建築の現場であっても、汚れたままにしておくことはご法度なのです」

“現場をきれいに保つ”。シンプルな指摘だけに徹底するのは難しそうだが、若尾は現場のメンバーに対してある伝え方を思いついた。

「自分の履く革靴を鏡のように磨き上げるんです。そこに“私の靴を汚さないでください”というメッセージを込めた。ただ『現場をきれいにしましょう』と言うだけでは、なかなか浸透しません。私がピカピカの靴で現場に出向くようになってから、どんどんきれいになっていきました。我ながらその効果に驚きましたね(笑)」

現在のもっとも重要なミッションは、企業の根幹を成す“人づくり”

自由に生きて好きなことを仕事にし、現場を取り仕切り、同時に経営層でもあるという、ビジネスパーソンとして理想的なキャリアを実現している若尾に、今後の展望を聞いた。

「腰痛改善として接骨院で勧められてはじめたランニングをきっかけに、10年くらい前からトライアスロンにのめり込んでいます。妻には「私に迷惑さえ掛けなければいいよ」と許可をもらっているので(笑)、早朝に起床してトレーニングし、彼女が起きてくる時間には朝食を用意して待っているという生活が習慣になっています。この趣味は今後も楽しみたいですね。
仕事の面では、“人づくり”で会社に貢献していきたいという想いが一番。 “人づくり”には2つあって、1つは自分がこれまで長い時間を掛けて培ったすべての経験や知識を、すぐに理解できるような方法で後進に伝えていきたい。
もう1つは、“一緒に楽しく成長できる仲間”を増やすこと。中途採用では、私がほぼ全員の面接をしており、以前、Frontier Journeyの記事に登場したシムさん(Vol.14)の面接も担当しました。当社の事業を説明したときに『私たちは人の役に立つ仕事をしています』と言ったら彼の目がパッと輝いたんです。それがすごく印象的で、この人なら一緒に成長できると感じ、採用を決めました。現在持っているスキルよりも、成長を分かち合える伸びしろがあるか。私は常にその視点で人を見ています。シムさんのように、豊かな未来が感じられる人を増やして、当社を今よりももっと素敵で楽しい会社にしていきたいですね」

常に温和で話し上手、仕事に揺るぎない美学をもち、視点は常により高いところを見据えている。もし、ドラマで理想の上司を描くとしたら、きっとこんな人物だろうと感じる若尾の佇まい。否、ビジネスパーソンとしてあまりに完ぺきな姿に、ドラマにしても『リアリティがない』と思われてしまうかもしれない。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

自らの経験を後進に伝え、一緒に成長できる人を社内に増やすという二軸の“人づくり”
編集後記

SDGsの機運の高まりもあり、若尾さんが学生の頃から大切にしてきた“古いものをきれいにして長く使う”という考え方が今はスタンダードになりつつあります。たとえば古着は、若者のトレンドのように取り上げられがちですが、国によっては持続可能なライフスタイルとして需要が大きく伸長しています。建築の世界でも、スクラップ&ビルドの開発が中心の都市開発は終焉に向かい、誰かの想いで建てたものを大切に保存する、まるで健康寿命を伸ばすかのような人の温もりを感じさせる考え方が浸透してきています。若尾さんのような深い知見としなやかな発想力、そしてものを大切に長く使い続けることを大切に考えるプロフェッショナルたちが、これからの都市の在り方を変えていくのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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