FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 057

一人でも多くの若者をグローバル人財に!
学生ファーストな学長、
ウィルソン氏の生き方とは

テンプル大学ジャパンキャンパス 学長
マシュー・ウィルソンMatthew Wilson

2024年6月12日

テンプル大学ジャパンキャンパス(以下TUJ)は、2005年に日本で初めて文部科学省から「外国大学日本校」に指定された、米国ペンシルベニア州立の公立大学の日本校。TUJでは、日本にいながら米国本校と同等の学位を取得でき、本校と同じカリキュラムを100%英語で学ぶことができる。TUJは日本の大学とは異なる米国高等教育の特色ある教育を提供しており、現在、世界約70カ国・地域からの学生が在籍し、外国の総合大学では他に類を見ない、多様で国際的な学びの場となっている。

サンフロンティアではホテル事業を含む複数のビジネスで多国籍の社員が活躍しており、グローバル人財を育てているTUJに注目してきた。さらに、TUJはウクライナにいる、または難民になっている学生を受け入れており、同社はその奨学金支援にも協力している。

80年代ごろ、地方自治体や企業の誘致により外国大学が日本校を設置しはじめ、1992年は31校存在していたことがあるという。しかし、学生数の減少、日本の大学に比べると高額となってしまう学費、学生の英語力、教育システムの違いなど多くの課題があり、ほとんどの大学が日本を撤退した。2024年現在、日本にあるアメリカの大学はTUJを含め3校のみである。

そのTUJの学長は、自らもテンプル大学大学院で学び、TUJで教鞭も取った後に、アクロン大学(米国オハイオ州)やミズーリ・ウェスタン州立大学(米国ミズーリ州)で学長職を歴任したマシュー・ウィルソン氏だ。

教育に対する熱い思いを貫いてきたウィルソン氏が、どのような道のりを経てきたのか、そしてどのような夢を抱き、それらを実現してきたのか。多国籍な学生たちが行き来する東京都世田谷区三軒茶屋のキャンパスにて話を聞いた。

3歳で「弁護士になる」と決めた
そして思いがけず日本へ

米国ユタ州出身のウィルソン氏は、日曜日に家族揃って教会に行くことが決まりごとだった。日曜なのに友達の家に遊びに行ったり買い物に出かけたりしないルールで、小さな頃はそれがとても退屈だったという。

「3歳の私にとって、近所に住むアリスおばさんの家にお使いに行くことが日曜のささやかな楽しみでした。あるとき私はアリスに『将来何になればいいと思う?』と尋ねました。彼女から、『あなたは何が得意?』と問われ、それに答えられずにいると『マット(彼の呼び名)はおしゃべりがとても上手よ、お話することを活かせる仕事はどうかしら?』と」

3歳では仕事といっても何も想像がつかず、どんな仕事があるのか聞いてみると、アリスは教師・政治家・弁護士の3つを挙げた。「父も弁護士でしたし、アリスが『弁護士は人を助ける仕事だしマットのパパも弁護士よ』と説明してくれたので、話すことも人を助けることも好きだから『ぼくは弁護士になる!』と、アリスの家から帰ってすぐに家族に宣言しました」

3歳の子どもに大きな影響を与えた原体験であり、とても微笑ましいエピソードだが、ウィルソン氏はほんとうにそれを実現させてしまった。

そして弁護士になる夢を叶える前に、日本に来ることになった背景を尋ねてみた。

「19歳の頃、宣教師のボランティアに立候補しました。アメリカ国内、海外、どこへ派遣されるかは教会が決めること。報酬は一切もらわず指定された地に赴くのですが、私は日本の、北海道というところに行ってくださいと告げられました」

当時の米国では、「Sushi」など、日本文化がほとんど知られていない時代。もちろん彼には日本の知識など全くなく、日本人の印象は「お米をたくさん食べる人たち」ということくらい。ウィルソン氏の家族も海外経験は全くなかったという。

「今でこそ私は日本語も話せますが、高校生の時、フランス語を3年勉強しても話せるようにならなかったという苦い経験もあり、『僕は日本語も話せないし、お米も好きじゃない、北海道というところはとても寒いらしい、私は絶対死んでしまう』と思いました(笑)」

そんな気持ちで来日したウィルソン氏が、初来日で日本に魅了されたのはなぜか。

「日本人は家族や先祖を大切にする人が多いなと思い、私もそうだったので共感できました。教育のことや家族のこと、そして健康への配慮など、アメリカ人であっても日本人であっても共通するのは人生で訪れるさまざまな課題を解決しなければならないということ。そしてその解決法は各々違っていていいのだということにも気付き、日本の皆さんが一生懸命課題を乗り越えようとして生きている姿勢はすごくいいなと思いましたし、学ぶことが多いと感じました」

アメリカなら教室の掃除は清掃業者に任せるところ、日本の学校では生徒たちが行っているのを見て、感心した。課題解決の方法は米国式のやり方だけでなくさまざまな方向から考え、手法を変えてみるということの大切さを学んでいった。

日本での奉仕活動は、報酬のないボランティアなので、当時生活は厳しかった。近所のパン屋さんに行き「申し訳ないのだけど、奉仕活動中の身なのでパンのミミを分けてもらえないか」と自ら交渉し安価で譲ってもらうなど、工夫して生活していたという。日本で普通のパンは食べられなかったと当時を振り返る。

「我が家は6人兄弟で、父は弁護士でしたが企業勤めではなかったのでそこまで裕福ではありませんでした。そんな中で私を海外の奉仕活動に行かせてくれたことに感謝しましたし、大学や法科大学院の学費は自分で教育ローンを組んで臨みました」

幼少期の目標をかなえることで、培ったのは「実現力」

1年間の奉仕活動を通じて日本語を予想以上に習得することができ、日本が大好きになったというウィルソン氏。帰国直後はアメリカの料理が甘すぎて食べられない、と感じるほど日本に慣れ親しんでいたという。日本にまだ残されたミッションがあるように感じ、せっかく覚えた日本語を忘れないために、日本語の礼拝と日本語の勉強会のある教会へ足を運んだ。

「そこで当時留学生だった妻と出会いました。そして彼女が米国留学を終えて日本に帰らねばならないというときに、私も一緒に日本に行く!と学生結婚をし、日本の企業で仕事をすることになったのです」

再び来日したことで日本の法律も学んでみたい、国際弁護士になりたいという新たな目標を持ち、法科大学院を探していたときにTUJにロースクールがあることを知る。その後進学を決意、そして授業を受けていたときにふと「次なる目標」を思いついたのだという。

「授業を受けながら『先生もいいな』と思いました。授業を担当していた教授は、弁護士として活動しつつ、日本の文化や法律を留学生に教え、日本の学生が英語で困っていればそのサポートも行っていました。その教授に『もしも今の仕事を辞めることがあったら教えてください、私がやってみたいので』と伝え、連絡先を渡しました」

それから2年後、実際にその教授から連絡があり、ウィルソン氏は希望通りTUJのロースクールのディレクター(法学部長)の仕事を得て、さらにTUJのジェネラルカウンセル(顧問弁護士) と上級副学長に就任した。期せずして幼少期に近所のアリスおばさんにいわれた「向いていそうな職業」の2つを叶えてしまったのだ。

ただ、この時期はTUJの苦難の時代でもある。

グローバル人財を育て抜くという夢

「利益目的だったらTUJは存続しなかっただろう」とウィルソン氏は語る。当時のTUJはさまざまな難題に直面していた。いくつか挙げると、外国籍学生に留学ビザを申請して受け入れることができない、通学定期に学生割引が適用されない、学費に消費税が加算される、学生の奨学金が認められない、勤労学生の所得税控除の対象にならない、20歳以上の学生に国民年金の支払い猶予が認められない――これらすべての問題はTUJが文部科学省の指定を受ける2005年まで解決しなかった。それでも、米国の州立大学の教育を日本でも受けられるよう、そして国際色豊かな環境で学生が多くの学びを得られるよう、TUJは日本から撤退する道を選ばず努力を続けた。

「19歳で初めて日本を訪れた時、多くの素晴らしい発見がありました。自身の体験を通し、より多くの外国人を日本に招き、日本の魅力を紹介したいという強い思いが生まれました。テンプル大学は、国際的な教育活動の一環として、日本での学びの場を提供し続けています。ある意味、これは国際的な奉仕活動ともいえるのではないかと思います。グローバル人財の育成をこの地、日本で行うこと。それは、私が人生を通じて大切にしてきた信条と深く結びついているのです」

ウィルソン氏が教鞭をとるためにTUJに戻ってきた2020年、学部学生数は1,250名だった。しかし、現在でその倍近い2,240名にまで増えており、今も定員を設けず広く募集を続けている。教室やスペースが足りなくなり、周囲がハラハラしても、ウィルソン氏は「学生ファーストで考えていく。ここで学びたいと思ってくれている学生の気持ちに応えたいから、スペースが足りないなら増やす努力を大学側が行えばいい」と語る。実際に、世田谷区のキャンパスの周辺にはアクティビティ・スタジオや2つのサテライトオフィスが点在している。アクティビティ・スタジオはクラブ活動や生涯教育プログラムの授業のために活用され、サテライトオフィスの一つは人事部、もう一つは経理部や教授の研究室、教職員のためのコワーキングスペースを設置している。また、さらに増える予定だ。また地域コミュニティーとの関係も深まっているのだそう。

キャンパス中を歩いてコミュニケーションをとる、
学生ファーストで動くウィルソン氏の思い

「自分が学生の時に、やはり学生ファーストで動いてくれる教員がいたんです。就職のサポートや日々の生活の問題、学生が抱える大小さまざまな問題を一緒に解決しようという大人がいたことが素晴らしいと感じ、私も同じことをしたいと思いました。私は自分のプライベートの電話番号を印刷した名刺を学生に配り、自分一人で解決できない問題が起きたら相談してほしいと伝えています。夜遅くに電話がかかってきても、対応し、できるだけのことをしたい」

自分で働いて学費を払っている学生が、働けなくなってしまい生活が困窮することがある。その姿が北海道でパンのミミをもらって食べていた19歳の時の自身と重なり、学生が授業に集中できるよう食べ物を用意することもあるのだ。
「留学してきて家族と離れていても、ここでは私たちが家族だよと思えるように私から学生に歩み寄ることを心がけています」
一緒に体育館でバスケットボールや卓球をしたり、ウィルソン夫妻と学生85名で箱根旅行に行ったこともある。おいしいものを食べるとストレスが解消されることからブリトー1,500個を3時間かけて配るイベントも行った。それは「学長のゼロ・ストレスデー (Dean’s De-stress Day)」といい、学生が喜ぶものを選んで月1回無償で提供している。こういった活動が徐々に大学全体に「学生ファースト」の意識をもたらし、質の高い国際教育の提供へとつながっている。

「この道だ」と信じ努力し続けてきた
一人でも多くのグローバル人財を輩出するために

学生の増加や学科の増設に伴い、教員も増員され、次々とよい変化が起こっている。
「テンプル大学本校の観光・ホスピタリティマネジメント学科は、世界の大学学術ランキング2023(ShanghaiRanking)で9位と評価されています。TUJでも2023年秋より本校と同じ学位を取得できるようになりました。本校から客員教授を迎え、今後もさらに力を入れていく計画です。大学で働く人、学生、そして関わってくれるすべての人に良い環境を提供できるTUJでありたいですね」
NCAA(全米大学体育協会)eスポーツワーキンググループの代表を務めたこともあり、TUJでは昨年からeスポーツの修了証書プログラムを導入している。2024年1月にアジアeスポーツ連盟と覚書を締結したことにより、筑波大学主催のeスポーツ大会をはじめ、さまざまな大会に参加するなど、他大学との交流も盛んである。

コロナ禍では外国人の日本入国制限がされる中、TUJはやむを得ず授業をオンラインにシフトした。その試行錯誤の結果、オンライン授業の質が向上し、学びの機会を広げる一助となっている。また昨今では、従来の対面授業かオンライン、もしくはその両方をハイブリッド形式で提供するなど、学生の学びやすさを重視した制度を導入している。

苦労している学生のための資金的援助にも積極的だ。TUJが毎年開催している「Diamond Dinner」は、奨学金制度で、学生と関係者、保護者、寄付者が集い、学生支援のための資金を募るイベントである。この数年間は、ウクライナで学業が中断してしまった学生を支援しており、サンフロンティアのような民間企業や、起業家、著名人などが参画している。

出典:恒例の、学生向け奨学金ファンドレイジングイベント「ダイヤモンド・ディナー」を開催。ウクライナ大使も参加 | TUJ ニュース( こちら

「私は幼い頃、国際的なことは全くわからなかったけれど日本に来たことがきっかけで、自分が目指す、より良い人生を選択することができました。だから他の学生たちにも同じような経験や機会を作ることができたらと、力を注いでいます」

その想いを形にしていくため、TUJは国際教育の推進、文化交流などを目的とした連携・協力に関する協定を愛媛県、長崎県、山梨県と結んでいる。また、2025年1月には新しい拠点として、TUJ京都がオープンする。地域そして多様な世界との「つながり」を生み出し続けている。TUJで育った学生たちの未来が楽しみでならない。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

国内外から多くの若者がTUJに集う流れと同じように、日本の学生がもっと世界に飛び出しグローバルな人財として育つ機会をつくっていきたい
編集後記

人は3歳ごろになると語彙力の進化は倍増し1,000語もの言葉で表現することができるようになるそうです。「大きくなったら何になるのか?」子どもなら誰でも一度は考えるであろう素朴な質問に真剣に向き合ってくれたアリスさんの対応から学ぶことは大きいですね。幼少の頃の原体験がやがては夢の実現へと繋がっていく…大人が担う責任をひしひしと感じる実話でした。
テンプル大学ジャパンキャンパスは、2022年に40周年を迎えました。市場の環境がいい時もそうでない時も、彼らがずっと日本にコミットし続けた背景には、高等教育の重要性そして国をまたいだ学びを通してグローバル人財を育てていくというビジョンを信じ応援してくれる人たちがいたから。サンフロンティアのホテル事業には様々な国籍からなる仲間がおり、海外事業も成長を続けています。労働人口減少だけでなくグローバル人財の育成は急務です。
海外から多くの若者を受け入れ、またこれからは日本から世界へと広がる教育の場もつくっていきたいというウィルソン学長の原動力が「愛と奉仕」の精神であることに、「利他」を社是とする私たちも深く共感しています。大学教育から職場へ…会社としてバトンをしっかり受け取りながら、これからも想いを共有する人たちと共に、人財育成にさらなる貢献をしていきたいと心新たにしています。

テンプル大学ジャパンキャンパスについてはこちらから:https://www.tuj.ac.jp/jp

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