FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 011

「子どもに寛容な社会へ」
異業種から保育事業を立ちあげた
人を育てる経営者の夢

株式会社さくらさくプラス 代表取締役社長
西尾 義隆Yoshitaka Nishio

2022年9月30日

築地本願寺の目と鼻の先。日比谷線築地駅を出て路地をほんの少し入った場所に、子どもたちの楽しそうな声が響く保育園がある。オープンは2021年春。この場所はそれまで三代にわたってのれんを守ってきた佃煮店が店舗を構えていた場所だ。店舗移転に伴って始まったプロジェクトには、人から人に“つなぐ”大切さに彩られたストーリーがあった。

築地に根付いた老舗店を、子どもたちを育てる場に。
受け継がれた幸せのバトン

Frontier Journey vol.8vol.9、そしてvol.10では、築地の佃煮店が保育園として生まれ変わることになった過程で関わってきた人たちをご紹介してきた。このプロジェクトの締めくくりとなる今回は、かつて老舗の佃煮店があった場所にできた保育園「さくらさくみらい築地」を運営する株式会社さくらさくプラス 代表取締役社長の西尾義隆氏にフォーカスしていこう。
先ずサンフロンティアから保育園の用地としての提案を受けたとき、どんな印象を持ったのだろうか?

「サンフロンティアさんの『建物を壊すのではなく、より高い価値を付加していく』という考え方は、保育事業を行う我々としても、非常に共感できるものです。特に佃煮屋さんとして代々その場所で事業をなさっていた歴史があるわけです。積み重ねてこられた時間を引き継ぐ先として、保育園の事業をご提案いただいたことには、心動かされるものがありました。
サンフロンティアの皆さんは、売却することを目的として、『売れればいい』とお考えになっていなかったと思うのです。長く築地という地域でやってこられたからこそ、跡地に違和感があるものを造ってほしくないのは当たり前ですし、地域や社会に貢献したいという思いもおありだったでしょう。そこで、ご縁を創っていただいたことは非常にありがたいと思っています」

人から人へ。商売を受け継いできた“物語のある場所”が、子どもたちを育む場として生まれ変わる。とても幸せなバトンタッチが、築地の一角に生まれた瞬間だった。

建物に必要な条件をすべてクリアし、
地域が待望する保育園が誕生

サンフロンティアからの提案を、二つ返事で承諾した西尾氏。スムーズに立ち上がった築地の保育園プロジェクトだが、もちろん越えなくてはならない壁もあった。

「保育園として認可されるためには、ハード面での条件も数多くあります。特に今回の物件は元々が店舗兼住宅ですから、それを保育園の用途に変えていくのは、非常にハードルが高かった。先ず構造的に旧耐震のものを新耐震にする作業。そして、避難経路を二方向に設ける条件があるため、新規にもう1つ階段を造らなければならない。構造的な強度を保ちながら、階段を造るための空間をつくり、階段を新設するのは相当なチャレンジです。
それでも、既存の建物を活かしながらバリューアップするというのがサンフロンティアさんの得意分野ですから、安心してお任せしました」

工事の過程では、認可保育園を管轄する中央区の担当者も再三現場を訪れたという。銀座エリアにほど近い好立地なだけに、保育園の誕生は行政としても注目するプロジェクト。「中央区のために」「区民のために」という想いもまた、この場所に重なっていったのだ。
そして2021年4月、「さくらさくみらい築地」は開園を迎えることになった。

「優秀な女性が活躍できない現状を変えたい」
強い想いが保育事業への転身を後押し

主に首都圏で保育園などを展開する西尾氏の株式会社さくらさくプラス。西尾氏は不動産業界にいた経験を持つ。新規参入となる保育事業に飛び込んだ理由とは?

「新興の不動産会社で事業者向けの土地売買や企画をやってきました。しかし、2008年のリーマンショックで会社が大きく傾いたこともあり、自分の将来を考え直すタイミングがやってきたのです。
当時、同僚に不動産鑑定士の女性がいたのですが、育休復職時に『保育園に入れられないので半年遅らせたい』という話や、『18時には絶対にお迎えに行かないといけない』 という話を耳にしていました。どちらかというと鑑定士の先生は気難しい感じもあるのですが、彼女は物腰も柔らかくて、とても優秀だったことを覚えています。このような方が戦力として会社にいてもらわないと困ると、強く思っていました。
女性の社会進出は当時もうたわれてはいましたが、現状はまだまだ対応できているとは言いがたい状況です。今後もどんどん優秀な女性が活躍するだろうという感覚があり、その人たちが出産後に復職できないのは非常に大きな社会的損失だと思いました。『なぜもっと保育園をつくらないのだろうか?』と率直に考えたことが、この事業に参入したきっかけです」

とはいえ西尾氏に、保育園を経営するノウハウがあったわけではない。ただし、不動産業界の経験から得た「投資や不動産価値を保育園の展開に絡められるのではないか」いうアイデアは、事業展開の重要なエンジンになった。
畑違いの業界に飛び込んだゆえ、銀行や金融公庫などからの融資は得られなかったが、不動産の投資家たちは西尾氏のビジョンに注目し、投資を受けることができたという。そして、広告会社が経営していた保育園を事業譲渡される形で、西尾氏の次なる人生がスタートした。

新規参入だからこそできた、
固定観念にとらわれない「人が人を育てる」理念

「不安だらけで、いま振り返ると『よくやったな〜』という感じです」と笑う西尾氏。
扱う対象は、不動産から「人」へと大きく変わった。しかし、だからこそ西尾氏には、新しい領域に挑戦するフロンティアとして謙虚に学び吸収していこうという決意があった。

「保育というもの自体がわからない状況からのスタートでした。逆に、わからなかったが故に現場の人たちとの対話やヒアリングを大事にしました。こちらの押し付けではなく、現場感を吸収し自らが学んできたからこそ、事業を進めてこられたのだと思います。
もちろん事業である以上、合理的・効率的にという視点も必要です。しかし、保育において最も大切なのは、「人しか人を育てられない」という事実です。保育士の皆さんが幸せでなければ、子どもたちに本当の笑顔を向けることはできません。人は気持ち次第で人を育てる存在にもなれますし、逆に傷付ける存在にもなり得ます。ですから、スタッフとは、しっかり向き合って話をしてきました」

創業以来、さくらさくみらいの保育園では、1on1での面談を大切にしてきた。スタッフの悩みや困りごと、時には愚痴などにも耳を傾け、きめ細かくケアすることが、保育の質を向上させるという信念がそこにある。

自身の幸せの捉え方をも変えた
「ありがとう」という言葉

西尾氏が保育事業に飛び込んだのが2008年。14年が経ち、事業は順調に伸びている。その間に、彼の中で大きく変わったことがあるという。

「保育事業に携わるようになって、『ありがとう』という言葉を直接いただけるという経験をしました。スタッフはもちろんのこと、私にとってもその言葉にいちばん幸せを感じますし、喜びを感じることのできる仕事だと思っています。例えば、創業の2008年当時4歳だった園児は、もう成人しようかという世代です。非常に感慨深いですし、『あのときに保育園があったから育てることができました』という声をお聞かせいただくと、本当に幸せな気持ちになります。
『ありがとう、と言ってもらえることが、自分にとっての幸せなのだ』と気付けたことが、自分にとって一番大きなことです。たくさん給料をもらって、いい時計やいい車、派手な生活をすることもいいかもしれませんが、それはやはり刹那的な幸せです。ずっと継続して幸福を感じることができるのは、人のために働き、人に喜んでもらうこと以外では、得ることができないと確信しています」

西尾氏の、どんな人にも安心感を与える物腰や言葉の裏には、自らが感じる“幸せ”をアップデートした精神性があるのだろう。そして、その原点には、多くの子どもたちや子育てに奮闘する人々から伝えられた「ありがとう」がある。

子どもに寛容な社会をつくりたい

「今、少子社会の状況になってきて、我々の世代でも将来の年金に大きな不安を抱えています。子どもたちの世代はもっと大変ですし、彼らが将来、私たちを助けてくれる形になるわけじゃないですか。それなのに、社会が子どもに対して不寛容すぎると感じています。私はこの事業を通じて、子どもを産み育てることに寛容な社会をつくっていきたいと考えているんですよ。
『バスにベビーカーを折りたたまずに乗せて…』といったニュースもありましたが、そんな不寛容がニュースになっている時点で変なのです。そんなレベルの話ではなく、無条件にみんなで子育てを応援し、地域社会、国全体を挙げて子どもたちを大切にしていく必要があるのではないかと思っています。文字通り、子どもは『国の宝』なのですから」

さくらさくプラスが保育園を展開する都心エリアは、常に多くの人が行き交う世界一の人口密集地でもある。不寛容はあらゆる街角に存在し、子どもたちが伸び伸びと生きられる場とは言いがたいのが実情だ。

「街中にいる子どもたちを心配して声をかけたら、今はすぐに不審者扱いです。そのくらい不寛容な時代になってしまっています。だからこそ、保育園が地域社会とつながるハブになりたい思っています。保育園が地域や社会と子育て世代をつなぐ。核家族化が進む中、都心にこそハブとしての保育園が必要だと思います。そして、そこから子どもたちに寛容な社会を広げていけたらと考えています」

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

子どもや子育てに寛容な社会をつくりたい
編集後記

近年、日本でも女性の社会進出が進み、就業者数は増加傾向にある。2000年から2019年までの20年間で、女性の就労者数は約200万人増加し、就労率は70%を越えるまでになった。その背景には労働参加を促す政策などの法整備や、保育園をはじめとした子育て環境の整備もある。しかし西尾氏の“肌感覚”どおり、女性が子育てをしながら安心して働ける環境があまねく整備されているかといえば、答えはノーだろう。
総務省の労働力調査によれば、結婚・出産など生活環境の変化を迎える30代以降、非正規雇用の割合が急激に増え、40代後半では女性就業者のうち半数以上が非正規雇用となっている。今も子育てには厳しい現状が浮き彫りになる。社会のひずみが女性の労働環境そして子どもたちの保育環境に大きな影響を与えていることは明白といえる。西尾氏が目指す「子どもや子育てに寛容な社会」が、子どもたちや家族の笑顔のハブとなる保育園から広がっていくことを願ってやまない。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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