FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、サンフロンティアに関わる社内外で活躍するさまざまな「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 048

佐渡の海の如きやさしく烈しい太鼓の音
音楽の力で、この島を「世界の縮図」に

株式会社北前船 代表取締役社長
洲﨑 拓郎Takuro Susaki

2023年12月8日

2023年8月26日(土)〜27日(日)に新潟県佐渡市で開催された「しま夢ジャズ・イン・佐渡2023」。『しまの持続可能で豊かな成長を通して、島国ニッポンを元気に!』というコンセプトのもと、国内外の著名なジャズミュージシャンが佐渡に結集し、熱いライブを行った。そのメインの一角を張ったのが、佐渡を拠点とする世界的な太鼓芸能集団「鼓童」だ。
日本の伝統芸能である和太鼓の再創造を掲げ、世界各地で精力的な公演を行なう鼓童の経営陣の一人である洲﨑拓郎氏は、そのプロデュースを行なっている。演奏者、音響スタッフ、経営者とさまざまな立場から鼓童の発展を支えてきた洲﨑氏に、自身と鼓童が目指す未来について聞いた。

18歳の心を動かしたのは、1本のテレビ番組と「鼓童“むら”構想」

この世に数ある楽器のなかで、太鼓ほど日本人にとって馴染み深い楽器はないだろう。古くは神々や祖先との対話のための道具として、その後は芸能や祭礼の際にも使われてきた。ある意味、最もプリミティブな楽器とも言える太鼓で世界中の人々を感動させてきたのが1981年から活動を続ける「鼓童」だ。

東京生まれの洲﨑氏が鼓童に出会ったのは、1985年。テレビで放送された鼓童の活動を紹介する番組を偶然目にする。当時鼓童は結成5年目、知る人ぞ知る和太鼓集団ではあったが、すでに世界各地で公演を行なっていた。
高校のブラスバンド部でパーカッションを担当していた洲﨑氏にとって、打楽器ひとつで世界中を魅了する鼓童の活動は衝撃的だった。すぐに公演を観に行き、劇場に轟く太鼓の音色に圧倒される。「自分も参加してみたい」という想いが膨らんだ彼は、鼓童への入団を決意する。

「両親は鼓童のことを知らなかったので、何度も公演を一緒に観に行って『こういう素晴らしい団体なんだよ』ということを理解してもらいました。入団することになれば東京を離れて佐渡で暮らすことになるので、本音ではとても心配だったと思います。それでも、やりたいと思ったことはやってごらんと快く送り出してくれた。両親には感謝しています」

洲﨑氏が鼓童への入団を決意した背景には、もう一つ理由があった。それは公演のプログラムに書かれていた「鼓童“むら”構想」に惹かれたことだ。この構想は、鼓童の創設者であり当時の代表でもあった故河内敏夫氏が提唱した理念。“自分たちの原点である佐渡を拠点にし、自然とともに呼吸しながら新たな文化を発信していこう”――そんな鼓童のフィロソフィに心を動かされた洲﨑氏は、高校卒業と同時に、佐渡へと旅立つことになる。

無我夢中だった研修生時代。自分の殻が破れて“剥き出しの塊”になる感覚

鼓童には研修制度が設けられている。入団を希望する者は、2年間、研修生として佐渡で団体生活を送り、その後の選抜試験を経てようやく入団が叶う。
当時の研修期間は1年だったが、洲﨑氏も同じ夢をもつ8名の仲間と寝食をともにした。研修中は廃校になった学校をベニヤ板で仕切っただけの部屋で寝泊まりをする。夏は暑く冬は寒い厳しい環境下で、ランニングや筋力トレーニングなど体力づくりを重視したカリキュラムが課せられていた。心身ともに過酷な毎日を想像するが、シンプルにやるべきことが見えていた当時の生活は、一瞬一瞬にのめり込んでいたと洲﨑氏は振り返る。

「たとえば、稽古で使うバチは自分たちで手づくりするんです。自分に一番フィットする形にするために角材を削っていくんですが、その太さや長さを整えるために簡単な算数が必要になる。ところが、手先の作業に集中しすぎて、作業中に小学生レベルの簡単な割り算ができなくなることがありました(笑)。そのくらい、のめり込んでしまう瞬間の連続でしたね」

研修の合間には、ほかの研修生と一緒に佐渡のお祭りにも参加。地元の方々とも積極的に交流を深めた研修期間は、佐渡の良さを骨身に染み込ませる貴重な時間にもなった。とはいえ、ひとつ屋根の下での共同生活ともなれば喧嘩や軋轢もあったにちがいない。研修生たちはどのような共同生活を送っていたのだろう。

「最終的には選考されるので、仲間とはいえライバル意識は当然ありました。でも、お互い毎日一緒に暮らしていると、だんだん自分を飾る余裕がなくなっていく。殻が破れて、剥き出しの塊になっていくような感覚がありました。もちろん些細なことで喧嘩もしましたが、同時に頼りあったり支えあったりもしていて、まるで家族のような関係でしたね」

一生懸命取り組めば太鼓は応えてくれる。それが感動につながる

鼓童の正式メンバーとなった洲﨑氏は、その後、9年にわたって演奏者として活躍する。国内での公演はもちろん、念願だったワールドツアーにも参加し、北米、ヨーロッパ、中東など世界各地の公演に出演した。ひとたびツアーが始まれば、毎日が猛烈なスピードで過ぎていく。言葉や文化の異なる国で公演と移動を繰り返す日々は、自分が何処にいるのかすら忘れてしまうほどの忙しさだった。失敗もたくさんあった。

「ある公演では、楽器の台を佐渡に忘れたことに公演当日気付き、地元のホームセンターで買い集めた材料で慌ててつくったことも。ニューヨークでは散歩中に当たり屋に遭遇し警察沙汰になったこともありました。そんな異国での生活でも、ひとたびステージに立ってお客さまの反応を直に受け止める瞬間は、何もかも忘れて無我夢中になりましたね」

アメリカのある都市での公演後、ほかのメンバーと一緒に楽器を片付けていると、じっとその様子を眺めている年配の女性がいた。洲﨑氏が近づくと、彼女は「とても良かったわ」と言って、躊躇なくハグをしてくれた。洲﨑氏にとって、今でも忘れられない出来事だった。

「やっぱり“楽器の力”が大きいと思うんです。太鼓は同じような叩き方でも、その日のコンディションや会場の雰囲気によって音がどんどん変わります。逃げずに一生懸命向き合えば太鼓はしっかり応えてくれる。中途半端に取り組んでいたら本当につまらない音にしかならない。身も心も剥き出しにして力を尽くすからこそ、お客様に真っ直ぐ想いが伝わるんです。太鼓にはそうした偉大な力が秘められていると思います」

プレーヤーから音響スタッフへの転身。未知への挑戦に迷いはなかった

1997年、洲﨑氏はプレーヤーを引退し、裏方スタッフに転身する。演奏者としてますます円熟味が増していくなかでの決断、惜しむ声も大きかったはずだ。それでも潔く引退を決断した背景には自身のプレーヤーとしての矜持があった。

「日野皓正さんや山下洋輔さんといった一流のアーティストと共演させていただくうちに、自分は彼らのような音楽家にはなれないということがだんだんわかってきたんです。そういう想いが芽生えてしまった以上、演奏者を続けるわけにはいかないと思っての決断でした」

佐渡を離れて東京に帰るという選択肢もあった。しかしそこで再び頭をもたげたのが、入団前からの夢であった「鼓童“むら”構想」だ。
太鼓は叩かなくなっても鼓童には居続けたい。何か自分にできることはないだろうか――。そうした思いの丈を当時の代表に話したところ「音響を勉強してみないか」と薦められた。その頃の鼓童は、歌手や他楽器とコラボレーションする機会が増えていた。太鼓だけなら生音でも成立するが、マイクの入った楽器が入ると音のバランスが一気に取りづらくなる。そうした音響のノウハウを自分たちでも持てるようになりたいと代表は考えていたようだ。
それまでとはまったく異なる環境で未知の分野を学ぶには相当の覚悟が必要だったが、洲﨑氏にとって音響を学ぶことは運命的でもあった。かつて通っていた高校が、音響機材に不可欠な要素である電気について学ぶ学校だったからだ。

「音響の勉強はすごく面白かったです。プレーヤーの頃は目の前にある太鼓の音だけを聞いていましたが、音響エンジニアになればお客さまの耳になって音を組み立てる必要があります。奏者としての視点とは大きく異なるので戸惑うこともありましたが、自分にも鼓童の役に立てることがまだあると思えたのはとても幸せなことでした。あのとき代表に『もう一回やってみろ』といってもらえたのは、本当にありがたいことでしたね」

そして経営者へ。嵐のコロナ禍を経て見えてきたもの

2020年、洲﨑氏は鼓童の公演活動や創造活動の企画制作部門をになう株式会社北前船の代表取締役に就任する。コロナ禍に会社を引き継ぐことには不安もあったが「それまでの常識が大きく覆ったことで、ある種、何でもできる状況になったというタイミングでもありました」と洲﨑氏は振り返る。
しかし、就任早々にピンチが訪れる。ヨーロッパツアーのさなかにイタリアで新型コロナウイルスの感染が急拡大した。ツアーを中断し、チームは日本への帰国を余儀なくされる。二年後、ヨーロッパの感染が落ち着きを見せたことでツアーは再開するが、そのひと月後、今度はロシアによるウクライナ侵攻が始まる。予想もしなかった戦争という現実を目の当たりにして「こんな時に呑気に太鼓を叩いていていいのだろうか」とショックを受けるメンバーも多くいた。佐渡からツアーを見守っていた洲﨑は、メンバー一人一人と議論を重ね、ツアー続行という決断を下す。

「私たちの使命は、鼓童を観たいといってくださるお客さまのもとで演奏することだと思うんです。政治やイデオロギーや宗教で対立するのは仕方がないかもしれませんが、それで世界の人々のコミュニケーションを途絶えさせてはいけない。そして、そのコミュニケーションを担うのは芸術や芸能の役割だと思います。太鼓には言葉がない。だからこそ、どこでも、誰にでも同じように想いを伝えることができる。これは我々鼓童の大きな強みだと自覚しました」

ロシアとウクライナの戦争はいまだに続いているが、音楽の力をブレずに信じ続けた鼓童の海外での活動は本来の活気を取り戻している。国内の公演においても、コロナ以前の規模まで戻りつつあり、嵐のときを経て、やっと次の課題に集中できる時期が訪れたという。

「私は音響エンジニアとして、ミキサーに配置された幾つものフェーダーを俯瞰して、音の調和がとれるよう一つひとつを最適な状態に整えるという仕事をしてきました。経営者になったとき、気づいたんです。『経営の仕事は、ミキサーを操るのと同じだ』と。自分の主張を前に出すのではなくて、会社全体が軋みなく役割を果たせるよう、整える仕事なんです」

「アース・セレブレーション」で、佐渡を「世界の縮図」に

現在、鼓童がツアーと同様に力を入れて取り組んでいるのが「アース・セレブレーション」だ。鼓童が国内外で出会ったアーティストや文化人を佐渡に招き、豊かな自然のなかで多様な文化を交錯させることで新しい地球文化の創造を目指す国際芸術祭である。これまで36回開催され、4年ぶりに通常開催された2023年は、3日間でのべ23,000人の来場者を集めた。

「海外でツアーをやっていると『君たちは何者だ』と問われるんです。外に行けばいくほど、己の存在意義を考えさせられ、さまざまなジャンルの音楽と共演する機会が増えるほど、自分たちの輪郭がくっきり見えてくる。それって、すごく豊かなことだと思うんです。お互いに異なる点を見つけ合いながら、そのちがいをみんなが一緒に楽しめるような世界であればいい。そういう場所を自分たちの本拠地につくりたいと思ってはじめたのが『アース・セレブレーション』です」

佐渡は昔から芸能への造詣が深い場所として知られている。しかし近年は高齢化や人口減少が顕著であるために、人々が音楽や舞台を一緒に楽しめる機会も減っている。洲﨑氏は、こうした現状に歯止めをかけるためには音楽の力が不可欠であると説く。

「佐渡は、私にとっては“生きている場所”です。だからこそ、そうした課題を解決するお手伝いがしたい。私は政治家のように世の中の仕組みを作るような立場ではありませんが、音楽を通じて“みんなで元気になろう!”と声を上げることはできます。国籍や年齢も異なる多様な人たちが集まることで、佐渡を『日本の縮図』どころか『世界の縮図』にしてみたい、と。今回開催された『しま夢ジャズ・イン・佐渡2023』も、そんな佐渡のポテンシャルに火をつけるような機会になればと思ったのです」

佐渡が『世界の縮図』へと向かう循環の中心に、鼓童がいる。その最初の小さな輪の形を整え、次世代へと引き渡すことが洲﨑氏の次の目標だ。

「鼓童は代替わりしながら進化してきた集団であり、私もそのプロセスの一部だと思っています。時代の変化とともにさまざまな手を加えながら、お客様に喜んでいただけるアイデアや作品、ビジネスが生まれる場所にもう一度つくり直したい。それが私なりの『鼓童“むら”』だと思っています。今はそのための土づくりの時期です。任期中に、その土をしっかり耕し直して、次の世代に繋いでいきたいですね」。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

「鼓童“むら”」を耕して次の世代に繋いでいく
編集後記

分断社会といわれる現代において、音楽のもつ言葉を超越した力は、ますます重要なものになってきます。だからこそ、ワン・アースを掲げる鼓童の活動もこれまで以上に意義深いものになっていくはずです。「佐渡が本当に大好き」と語る洲﨑さんの温かい眼差しには、これから実現するであろうキラキラした佐渡の未来が映っていることでしょう。私も2023年夏、浅草公会堂でひさびさに体感した鼓童の身も心も剥き出しになった“魂の音”で、心を鷲づかみにされました。
みなさんもぜひ一度、鼓童の公演で、古来から紡がれてきた和太鼓の大胆で繊細な響きに身を任せてみませんか。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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